暁闇(ぎょうあん)に燃ゆる(あけ)


一章

 幼い頃から神童と呼ばれてきた。自分自身、それは間違ってはいなとい思っている。数えで五つの歳には既に秘伝と呼ばれる家に伝わる術は(すべか)らくものにしていたし、七つの歳で次の家督(かとく)を継ぐことは決まってしまった。同時にその証である守護獣、銀鱗丸の守護も早々と得てしまった。十では特別に帝の御前(おんまえ)に参じる事も許されたし、もう、他に望むべきものなど何も無い。あとは、(ちょう)のためにお役目を尽くすのみ。
 これが、この御神楽天禰(みかぐらあまね)に用意された人生、そう、俺は思っていた。(よわい)、十三の時、(すで)に。

天禰(あまね)様!天禰様は、何処(いずこ)においでか!」
 屋敷中が大騒ぎになっていた。雑色(ぞうしき)から侍女(じじょ)達、果ては叔父や従兄弟(いとこ)や兄弟たちですら自分を探すために躍起(やっき)になっている。それはそうだ。今日は明日の元服(げんぷく)の儀を前にした祝いの日。御神楽家では一般の元服の儀とは違い、(かんむり)の変わりに特別な呪具(しゅぐ)装束(しょうぞく)を与えられる。当家の男は冠を被らず髪は長くたらしたままにするのが風習で衣も普通の貴族とは違っているからなのだが、その前後あわせて三日間、祝宴が催されるのだ。そしてその祝い事の主たる自分がいないのでは何もかもが台無しなのだ。主だった貴族や(みかど)の使い達は明日にならねば来ないとはいえ、浮き足立った祝いの日に抜け出すのは簡単なことだった。縁側の下に隠れ(ひそ)みながら、屋敷の外に抜け出す時を計っていたその時だ。廊下を静かに歩く足音。……誰だ、さっき侍女達は行ってしまったし、皆、口々に俺の名を呼び叫んでいるから他に誰もいないはずなのに……。
 足音は、ちょうど俺が隠れている場所の真上で止まった。……まさか……。
「兄上、みーつけた!」
清音(きよね)……静かに!見つかってしまうではないか」
 俺を見つけたのはやはり双子の妹の清音だった。長くたらした髪が逆立って、物凄いことになっているのだが、我が妹ながらこの少女は独特の美しさと愛らしさを持っているために、このような悪戯(いたずら)をしても不快には感じられない。
 どういうわけだか、清音にだけはどんなに隠れても見つかってしまう。双子ということで()み嫌われることもあったが、俺にとってはどの兄弟たちよりも近しい、まさに半身と呼ぶべき存在だった。
「清音、お前ももうすぐ裳着(もぎ)なのだから、御簾(みす)におとなしく収まっていればよいものを……」
「まあ、何を(おっしゃ)るかと思えば。わたくしと兄上は同じ時を母上の腹で過ごしたのですから、兄上と同じく変わり者と呼ばれるもの同士。そんな退屈なこと、耐えられるはずがないではありませんか」
「……ふん、まあそれはそうだが……。清音、お前その格好はなんだ?まさか……」
 清音はいつもの華やかな装束とは違って身軽な町の少年の格好をしていた。ご丁寧に顔まで少し汚してある。……これは、もしや……。
「もちろん、兄上と一緒に抜け出そうと準備してまいりましたのよ。この清音に隠れて屋敷を抜け出そうなどとできるわけがないのをご存知でしょうに」
 いそいそと長い髪を適当に(くく)りながら、清音はさっさと縁側から庭に降り立つ。
 そうなのだ。俺と清音は幼い頃から不思議と通じ合う何かがあるのだ。言葉にしてどんなものか言い表すのは難しいのだが、互いの感情や居所などたちどころに通じてしまうのだ。それに清音は我が半身らしく、力もほぼ同等。そう、この御神楽家で俺と清音は一二を争うほどの力を持っている。他の腹の兄弟たちは我らには及びもつかないし、叔父や親類達、父である当主ですら、だ。
 御神楽家とは、代々受け継がれる不思議な力で帝の世の平安を護っている一族だ。その地位は高い。ほぼ同じお役目を担っている陰陽師(おんみょうじ)達とは違い、御神楽家は世襲制(せしゅうせい)で力持つ貴族でもあるのだ。その後継(こうけい)たる俺は、都中で変わり者と言い交わされている。ともすれば、化け物、とも。只ですら妖しの力持つ一族、陰口など日常茶飯事なのだが、その中でも俺は特に力強く、さらに言えば貴族としての振る舞いを度々過ぎる行いをするものだから、他の貴族達にとってはあまり近寄りたくない存在であるようだ。清音にしたって、その力は女子(おなご)でありながら御神楽家でも有数、そして、忌むべき双子でさらに女子であるという(かせ)もある。陰では「おそらく清音姫は生涯独り身で過ごすであろう」と心無い者どもが言っているのも知っている。だが、当の本人は全くそれに頓着(とんちゃく)した様子もなく、日々を明るく、女子としては少々過ぎるほど快活に過ごしているのだ。全く我が妹ながら頼もしい限り。
「兄上、何をぐずぐずなさっているのです。早く抜け出してしまわないとまた面倒なことになりますわよ。早くなさってくださいましな」
「……全くお前には敵わんな。さて、では行くか」
 俺は変装用の町の子供の装束の短い袖をたくし上げ、右腕を(さら)した。
「出でよ、銀鱗丸!」
 稲妻の様な強い青い光が俺の右腕から(ほとばし)ると、光はひゅっと俺の(かたわ)らに一塊となって人型を取った。徐々に青色が薄らいでぼんやりとした白い色彩が現れてくる。やがて俺の側には御神楽の守護獣である銀鱗丸が(こうべ)を垂れた姿で顕現(けんげん)した。
「天禰様、銀鱗丸参りました。此度(こたび)はどのような御用向きで御座いますか」
「うん、俺と清音を町まで連れて行ってくれ」
 銀鱗丸は渋い顔をして、いつものように小言を言う。
「……天禰様……わたくしを何だとお思いか。便利な小間使いでは御座いません。わたくしは帝のご寵愛篤(ちょうあいあつ)いこの御神楽家の守護獣。そのあたりにごろごろしておる(あやかし)やら、眷属(けんぞく)たちと一緒になさってもらっては困り申します。それに、わたくしを御神楽家の御為(おんため)でなくお遊びの為に御使いになるのは……」
「ええい!うるさい!お前は本当に口数が多い。俺は只この家に収まってるのは我慢ならんのだ。この先元服してしまえば只でさえ窮屈(きゅうくつ)なこの家に今よりさらに捕らわれてしまうことになる。最後の頼みと思って聞いてくれんのか?」
 はあ、と溜息一つついて銀鱗丸は仕方ありませんな、と不承不承承諾の意を唱えた。
「全く、天禰様の最後の頼みは今までいくつ聞いた事やら。承知いたしました。ですが、本当に御家(おいえ)を抜け出すのはこれを最後にしていただきたく。それこそ、もう元服なさるのですからこれよりは御家の為に尽くしていただかねばなりません。わたくしも微力ながら力を尽くす所存で居ります」
 本当にこの銀鱗丸という当家の守護獣は口うるさい。俺のような性格では普通はそりが合わないものなのだろうが、何故だか異様に人間くさいこの守護獣とは気が合っていた。まるで口うるさい年上の兄弟のような関係だった。俺がこの家で甘えられる存在なのはこの銀鱗丸と清音だけだった。二人とも、俺の大事な半身。この二人がいなければ俺はどうにも(ぎょ)しがたく、まともな人間には育ってはいなかっただろう。なまじ力が強かっただけにきっと鼻持ちなら無い嫌な人間になっていたはずだ。本当に二人には感謝していた。でも、それは口に出しては言わない。そんな恥ずかしいこと、この俺が言える筈が無いから。
「ああもう、分かったから早くしてくれ!今日は市が立つんだ。珍しいものもたくさんありそうだから見てみたいんだ。清音もそうだろう?」
「うん。市へ寄ってその後は師匠の所へ行こうと思ってたんだけど。ねえ、銀鱗丸。お願い」
「……分かり申した。ではお二方、しかと御掴(おつか)まり下さいませ」
 銀鱗丸は両脇に俺たちを抱えると、ふわりと飛んだ。屋敷の塀を超え、それよりももっと高く飛ぶ。
「まあ、いい眺めですこと。兄上、ほら、あそこを見て。市がすごい(にぎ)わい」
「銀鱗丸、頼むから市のど真ん中になんて下ろすなよ。ああ、あそこの牛車(ぎっしゃ)の陰になっているところ、あそこへ降ろしてくれ。周りにも人は居なさそうだ」
(おお)せのままに」
 俺たちはゆっくりと降下し、やがて地面に着地する。良かった。牛車の周りにも中にも人は居ないようだ。でも用心の為、すばやく銀鱗丸には俺の中に戻ってもらい、清音と二人そっと表通りに歩き出した。
 市は物凄い賑わいだった。都中の人間が集まったのではないかというくらい活気に溢れている。市を立てている者達も客も、身なりは大体が質素だったが、明らかにお忍びの貴族や貴族に仕える者たちもいて、それこそ帝以外の都中のすべての身分の者たちが集まったようだった。
「わあ、兄上、見て!あそこ、綺麗な細工の文箱(ふばこ)がある。わ、あそこは(くし)があるよ。いいなあ」
 いつも以上に無邪気にはしゃぐ清音に、俺は少し嬉しくなってどれか買ってやろうという気になった。金子(きんす)はそれなりに持ってきてはいたが、あまり多くは無かった。何しろこの格好で高価なものは買えない。だが、櫛か細工物の装身具ぐらいなら買えない訳ではなかった。
「清音、何か買ってやろう。欲しいものがあったら選ぶといい」
「ええ、どうしたの兄上。そんな、いいよ、わたくし、じゃない。わたしだってお金持ってるもの」
 清音は格好に合った口調で断ったが、俺はどうしても清音に何か買ってやりたかった。大事な俺の妹であり半身である清音に、子供時代の最後の思い出の証として。
「いいんだ。俺が買ってやりたくて言ってるんだから遠慮するな」
 ええ〜といいながらも清音は何か感じ取ったのか素直に一つの櫛を選んだ。何も塗っていない、おそらく柘植(つげ)で出来た花模様が簡単に彫られただけの質素な櫛。値も張るものでもなかったので俺は少しだけ拍子抜けしたが、清音の望みだ。俺は金子を払い、そっと両手で櫛を渡した。
「兄上、ありがとう!大切にするね!」
 清音は心底嬉しそうに櫛を手に取り俺に笑いかける。俺も笑みを返した。それからも俺たちは暫らくの間市を行ったり来たりして楽しんだ。本当にいつもの大路とは違った活気付いた様子は俺の心を躍らせた。窮屈な家にいる間の鬱屈して退屈な日々とは全く違った風景。俺は誓った。今日、この日の出来事を一生忘れはしない、と。
 それから市の最後尾で清音とは別れる事になった。清音は最近通いつめている舞の師匠のところへ行くらしい。その師匠とは貴族ではないそうだが、舞の名手で度々あちこちの祝宴で声がかかる踊り手だそうだ。清音自身「わたくし舞には自信がありますの」と言っていたのに習いに行っているくらいだから相当な名手なのだろう。もちろん、その師匠のところに通っていることは家には秘密にしている。知っているのは俺だけ。貴族の女子が外を一人で出歩くなど、それも舞をすることすらも絶対にありえないことだからだ。
「清音、一人で本当に大丈夫なのか?銀鱗丸をつけようか?」
「まあ、兄上。わたし兄上よりも外には慣れてるから大丈夫。それにいざとなれば小巻を呼ぶから」
 小巻とは清音の眷属だ。眷属とは御神楽の秘伝の一つを用いて調伏し、従わせた妖魔のことを言う。守護獣の銀鱗丸と違い、基本的に調伏した御神楽家の者にしか従わず、絶えず側に付いているわけではない。そして、眷属は永続的な主従関係ではなく術者が望めば自由にしてやることも出来るのだが……御神楽の者は普通それはしなかった。
「そうか、しかしくれぐれも気をつけろよ。最近は不逞(ふてい)(やから)も多いと聞くし……」
「兄上、最近銀鱗丸に似てきたんではなくて?大丈夫。慣れてるから。それよりも兄上の方こそ気をつけてね。そろそろ御家の者も探しに出てくる頃合でしょうから」
 人に聞かれない様にこっそりと耳打ちする清音。うう、そんな、俺が銀鱗丸に似てきただと!? そんな馬鹿な! 俺の葛藤には全く気付かず、清音は大きく手を振って大路を走り去った。……俺にこんな風に遠慮なくものを言ってくれるのは本当に銀鱗丸と清音だけだ。全く。
 俺は清音を見送ると、元来た市の方角へと歩みを進めた。何か自分にも良いものを見つけて買っておこう。元服を済ませばおいそれと外を出歩くことも出来なくなる。何せ出仕せねばならない。これよりは子供時代とは違って朝の為に尽くさねばならぬ。たくさんの仕事がこれからはこの両肩にかかってくるのだ。
 俺はぼんやりとしながら道の両脇にある店をみて回った。何か、そう良い筆などもいいかもしれない。それかやはり(すずり)か……。そんな事を考えながら歩き回っていると、突然耳に飛び込んできた声。
「ちょっと、やめてよ!あたしの店なんだから!いや、やめて!!」
 まだ若い女の声。いや、少女と言っていいかもしれない。ざわざわした喧騒の中、人々は一斉の声がした方向を振り返る。もちろん、それは俺も例外ではなかった。
「いや、やめて!離してよ!!いやああぁ!」
 声は切羽詰った悲鳴に取って代わった。俺は何故だかその悲鳴に我慢ならなくなり、そこを目指して走り出した。先ほど別れた清音の面影が目に浮かんだから、と言う理由もあったが、若い娘が何か大変なことになっているのを見過ごすことなど出来なかったからだ。
 走りたどり着いた先には、粗末な衣をまとった俺とそう歳の変わらぬと思われる少女が、役人であろう男達に連れて行かれようとしているところだった。俺は思わず後先を考えずに叫んだ。
「お前ら、そんな子供相手に何してる!」
 俺自身、子供の格好をしていると言うことには考えが及ばなかったが、それでもその男達の注意を引くことは出来た。そして、その少女も。少女は涙に濡れた瞳を驚きをもって俺に向けた。綺麗な、素直そうな目をした少女だった。
「なんだ、子供。我らのお役目を邪魔するか!」
 男の一人が俺に向かって近づいてくる。その隙に少女はもう一人の男の手から逃れた。それを見取って俺は彼女の手を引いて黙って走った。後ろでは逃げられたことを悔しがる声と「追え!」と言う怒鳴り声。でもそれにかまわず俺たちは雑踏をすり抜け、大路を抜け、川原まで一気に走った。
「はぁ、ま、待って!……も、追って、こない……」
 はぁはぁと息が上がって苦しそうな少女に俺はやっと気付き、足を止めた。
「すまん、気付かなくて。大丈夫か?」
 暫らく少女はへたり込んでいたが、俺は持っていた水筒を差し出し、少女に渡した。少女はそれをごくごくと旨そうに飲むと、はあ、と一息ついた。
「……助けてくれてありがとう。こんなこと言っちゃなんだけど……何の関係もないのにどうして助けてくれたの?」
「どうして、だろうな……なんとなく、かな」
 こうして改めてみると、なかなかの美少女だった。清音の愛らしさとはまた違った柔らかな印象の少女。だが、笑うととても華やかな雰囲気になった。
「ふふ、へんなの。あんた貴族みたいなのにさ。あたし助けても何にもないのに」
 ふふふ、と笑う少女。俺はなんだか不思議とこの少女のことが知りたくなった。
「俺は天禰。お前、名はなんと言う?」
「ああ、あんたがあの御神楽の天禰様か。あたしは明乃(あけの)。苗字はないよ」
 これが俺と明乃の初めての出会いだった。

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