一章
幼い頃から神童と呼ばれてきた。自分自身、それは間違ってはいなとい思っている。数えで五つの歳には既に秘伝と呼ばれる家に伝わる術は
これが、この
「
屋敷中が大騒ぎになっていた。
足音は、ちょうど俺が隠れている場所の真上で止まった。……まさか……。
「兄上、みーつけた!」
「
俺を見つけたのはやはり双子の妹の清音だった。長くたらした髪が逆立って、物凄いことになっているのだが、我が妹ながらこの少女は独特の美しさと愛らしさを持っているために、このような
どういうわけだか、清音にだけはどんなに隠れても見つかってしまう。双子ということで
「清音、お前ももうすぐ
「まあ、何を
「……ふん、まあそれはそうだが……。清音、お前その格好はなんだ?まさか……」
清音はいつもの華やかな装束とは違って身軽な町の少年の格好をしていた。ご丁寧に顔まで少し汚してある。……これは、もしや……。
「もちろん、兄上と一緒に抜け出そうと準備してまいりましたのよ。この清音に隠れて屋敷を抜け出そうなどとできるわけがないのをご存知でしょうに」
いそいそと長い髪を適当に
そうなのだ。俺と清音は幼い頃から不思議と通じ合う何かがあるのだ。言葉にしてどんなものか言い表すのは難しいのだが、互いの感情や居所などたちどころに通じてしまうのだ。それに清音は我が半身らしく、力もほぼ同等。そう、この御神楽家で俺と清音は一二を争うほどの力を持っている。他の腹の兄弟たちは我らには及びもつかないし、叔父や親類達、父である当主ですら、だ。
御神楽家とは、代々受け継がれる不思議な力で帝の世の平安を護っている一族だ。その地位は高い。ほぼ同じお役目を担っている
「兄上、何をぐずぐずなさっているのです。早く抜け出してしまわないとまた面倒なことになりますわよ。早くなさってくださいましな」
「……全くお前には敵わんな。さて、では行くか」
俺は変装用の町の子供の装束の短い袖をたくし上げ、右腕を
「出でよ、銀鱗丸!」
稲妻の様な強い青い光が俺の右腕から
「天禰様、銀鱗丸参りました。
「うん、俺と清音を町まで連れて行ってくれ」
銀鱗丸は渋い顔をして、いつものように小言を言う。
「……天禰様……わたくしを何だとお思いか。便利な小間使いでは御座いません。わたくしは帝のご
「ええい!うるさい!お前は本当に口数が多い。俺は只この家に収まってるのは我慢ならんのだ。この先元服してしまえば只でさえ
はあ、と溜息一つついて銀鱗丸は仕方ありませんな、と不承不承承諾の意を唱えた。
「全く、天禰様の最後の頼みは今までいくつ聞いた事やら。承知いたしました。ですが、本当に
本当にこの銀鱗丸という当家の守護獣は口うるさい。俺のような性格では普通はそりが合わないものなのだろうが、何故だか異様に人間くさいこの守護獣とは気が合っていた。まるで口うるさい年上の兄弟のような関係だった。俺がこの家で甘えられる存在なのはこの銀鱗丸と清音だけだった。二人とも、俺の大事な半身。この二人がいなければ俺はどうにも
「ああもう、分かったから早くしてくれ!今日は市が立つんだ。珍しいものもたくさんありそうだから見てみたいんだ。清音もそうだろう?」
「うん。市へ寄ってその後は師匠の所へ行こうと思ってたんだけど。ねえ、銀鱗丸。お願い」
「……分かり申した。ではお二方、しかと
銀鱗丸は両脇に俺たちを抱えると、ふわりと飛んだ。屋敷の塀を超え、それよりももっと高く飛ぶ。
「まあ、いい眺めですこと。兄上、ほら、あそこを見て。市がすごい
「銀鱗丸、頼むから市のど真ん中になんて下ろすなよ。ああ、あそこの
「
俺たちはゆっくりと降下し、やがて地面に着地する。良かった。牛車の周りにも中にも人は居ないようだ。でも用心の為、すばやく銀鱗丸には俺の中に戻ってもらい、清音と二人そっと表通りに歩き出した。
市は物凄い賑わいだった。都中の人間が集まったのではないかというくらい活気に溢れている。市を立てている者達も客も、身なりは大体が質素だったが、明らかにお忍びの貴族や貴族に仕える者たちもいて、それこそ帝以外の都中のすべての身分の者たちが集まったようだった。
「わあ、兄上、見て!あそこ、綺麗な細工の
いつも以上に無邪気にはしゃぐ清音に、俺は少し嬉しくなってどれか買ってやろうという気になった。
「清音、何か買ってやろう。欲しいものがあったら選ぶといい」
「ええ、どうしたの兄上。そんな、いいよ、わたくし、じゃない。わたしだってお金持ってるもの」
清音は格好に合った口調で断ったが、俺はどうしても清音に何か買ってやりたかった。大事な俺の妹であり半身である清音に、子供時代の最後の思い出の証として。
「いいんだ。俺が買ってやりたくて言ってるんだから遠慮するな」
ええ〜といいながらも清音は何か感じ取ったのか素直に一つの櫛を選んだ。何も塗っていない、おそらく
「兄上、ありがとう!大切にするね!」
清音は心底嬉しそうに櫛を手に取り俺に笑いかける。俺も笑みを返した。それからも俺たちは暫らくの間市を行ったり来たりして楽しんだ。本当にいつもの大路とは違った活気付いた様子は俺の心を躍らせた。窮屈な家にいる間の鬱屈して退屈な日々とは全く違った風景。俺は誓った。今日、この日の出来事を一生忘れはしない、と。
それから市の最後尾で清音とは別れる事になった。清音は最近通いつめている舞の師匠のところへ行くらしい。その師匠とは貴族ではないそうだが、舞の名手で度々あちこちの祝宴で声がかかる踊り手だそうだ。清音自身「わたくし舞には自信がありますの」と言っていたのに習いに行っているくらいだから相当な名手なのだろう。もちろん、その師匠のところに通っていることは家には秘密にしている。知っているのは俺だけ。貴族の女子が外を一人で出歩くなど、それも舞をすることすらも絶対にありえないことだからだ。
「清音、一人で本当に大丈夫なのか?銀鱗丸をつけようか?」
「まあ、兄上。わたし兄上よりも外には慣れてるから大丈夫。それにいざとなれば小巻を呼ぶから」
小巻とは清音の眷属だ。眷属とは御神楽の秘伝の一つを用いて調伏し、従わせた妖魔のことを言う。守護獣の銀鱗丸と違い、基本的に調伏した御神楽家の者にしか従わず、絶えず側に付いているわけではない。そして、眷属は永続的な主従関係ではなく術者が望めば自由にしてやることも出来るのだが……御神楽の者は普通それはしなかった。
「そうか、しかしくれぐれも気をつけろよ。最近は
「兄上、最近銀鱗丸に似てきたんではなくて?大丈夫。慣れてるから。それよりも兄上の方こそ気をつけてね。そろそろ御家の者も探しに出てくる頃合でしょうから」
人に聞かれない様にこっそりと耳打ちする清音。うう、そんな、俺が銀鱗丸に似てきただと!? そんな馬鹿な! 俺の葛藤には全く気付かず、清音は大きく手を振って大路を走り去った。……俺にこんな風に遠慮なくものを言ってくれるのは本当に銀鱗丸と清音だけだ。全く。
俺は清音を見送ると、元来た市の方角へと歩みを進めた。何か自分にも良いものを見つけて買っておこう。元服を済ませばおいそれと外を出歩くことも出来なくなる。何せ出仕せねばならない。これよりは子供時代とは違って朝の為に尽くさねばならぬ。たくさんの仕事がこれからはこの両肩にかかってくるのだ。
俺はぼんやりとしながら道の両脇にある店をみて回った。何か、そう良い筆などもいいかもしれない。それかやはり
「ちょっと、やめてよ!あたしの店なんだから!いや、やめて!!」
まだ若い女の声。いや、少女と言っていいかもしれない。ざわざわした喧騒の中、人々は一斉の声がした方向を振り返る。もちろん、それは俺も例外ではなかった。
「いや、やめて!離してよ!!いやああぁ!」
声は切羽詰った悲鳴に取って代わった。俺は何故だかその悲鳴に我慢ならなくなり、そこを目指して走り出した。先ほど別れた清音の面影が目に浮かんだから、と言う理由もあったが、若い娘が何か大変なことになっているのを見過ごすことなど出来なかったからだ。
走りたどり着いた先には、粗末な衣をまとった俺とそう歳の変わらぬと思われる少女が、役人であろう男達に連れて行かれようとしているところだった。俺は思わず後先を考えずに叫んだ。
「お前ら、そんな子供相手に何してる!」
俺自身、子供の格好をしていると言うことには考えが及ばなかったが、それでもその男達の注意を引くことは出来た。そして、その少女も。少女は涙に濡れた瞳を驚きをもって俺に向けた。綺麗な、素直そうな目をした少女だった。
「なんだ、子供。我らのお役目を邪魔するか!」
男の一人が俺に向かって近づいてくる。その隙に少女はもう一人の男の手から逃れた。それを見取って俺は彼女の手を引いて黙って走った。後ろでは逃げられたことを悔しがる声と「追え!」と言う怒鳴り声。でもそれにかまわず俺たちは雑踏をすり抜け、大路を抜け、川原まで一気に走った。
「はぁ、ま、待って!……も、追って、こない……」
はぁはぁと息が上がって苦しそうな少女に俺はやっと気付き、足を止めた。
「すまん、気付かなくて。大丈夫か?」
暫らく少女はへたり込んでいたが、俺は持っていた水筒を差し出し、少女に渡した。少女はそれをごくごくと旨そうに飲むと、はあ、と一息ついた。
「……助けてくれてありがとう。こんなこと言っちゃなんだけど……何の関係もないのにどうして助けてくれたの?」
「どうして、だろうな……なんとなく、かな」
こうして改めてみると、なかなかの美少女だった。清音の愛らしさとはまた違った柔らかな印象の少女。だが、笑うととても華やかな雰囲気になった。
「ふふ、へんなの。あんた貴族みたいなのにさ。あたし助けても何にもないのに」
ふふふ、と笑う少女。俺はなんだか不思議とこの少女のことが知りたくなった。
「俺は天禰。お前、名はなんと言う?」
「ああ、あんたがあの御神楽の天禰様か。あたしは
これが俺と明乃の初めての出会いだった。
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