黄昏インタールード


仏頂面の姫君

 桐でできた古めかしい衣装箪笥(いしょうだんす)の中は、例えて言うならお花畑だった。……いや、これは自分でも恥ずかしい例えだな……などとぶつぶつと独り言を言いながら、わたしは衣装を選ぶ。このスカートは……うーん、薄い素材で出来ていておまけにピンクだ。私のイメージとは程遠いだろう。却下。こっちのジーンズだったら……いや、でもスカートの方が……。
「凛子様、どうなされましたの?もうすぐ薬湯(やくとう)ができますけれど……わたくし一人で参りましょうか?」
 連が障子越しに声をかけてきた。ああ、まずい。こんなところを見られたら……。
「どうかなさいました?先ほどは一緒に参りますと仰っていましたのに……」
「いや、あの、少し待っててくれ。すぐ、そう、すぐ行くから……ったぁ」
 うう、慌てていたので箪笥の角に足の小指をぶつけてしまった。痛い……なんで足の小指はぶつけるとこんなに痛いのか……。
「まあ、凛子様、どうなさいましたの!?ちょっと失礼致しますわね」
「いや、ほんとなんでもないんだ!あ、ちょっと……」
 すっ、と障子が開けられる。ああ……駄目だ……こんなところを見られてはなにを言われるか……。
「……まあ、凛子様。どうなさいましたの、この散らかりようは。いつもに増して足の踏み場がないじゃ御座いませんの」
「いや、これはだな、別にどうというわけでは……そう、別に衣装を選んでいたわけでは決してないぞ!」ああ、わたしの馬鹿! 言ってしまってからではもう遅い。きらり、と連の目が光った気がした。
「まああ、凛子様。下着姿で御衣装をあちらこちらに散乱させて言うお言葉では御座いませんわよ。……そうでしたの……橋詰様がいらっしゃったので御衣装選びに腐心(ふしん)なさっておいでとは……連は気付きませんでしたわ」
 ぎくっ。なんだろう、何か絶対に言われたくないことを言われるような気がする……。それがなんなのか自分では分からないが、面白いことではないのだけは確かなようだ。
「……一体……何に気付いたんだ?」聞きたくはない、でも、自分で判別つかないことがあるのももどかしい。結局わたしは自分の興味に負けたのだ。そう、聞いてしまった。
「凛子様、今、恋をしておいでですわね?」
「………………コイ?鯉?……って……恋〜!?」
 恋ってあれか。よく本やら映画やらドラマやらでやっている……妙齢の男女が手を繋いで微笑みながら歩いたり、一緒に茶なんぞを飲んだり、デエトとか呼ばれているらしいものをしたりする、アレか。
「……って、な、な、ななな」
「連は分かっておりますわ。凛子様といえど年頃の女性でありますもの。お相手が橋詰様とは連にはちょおぉっと物足りなく感じますけれど、でも、橋詰様のほうはもう、凛子様にぞっこんですもの。ちょうど良き事かと。そうですわね……御衣装も少しかわいらしいのを選ぶときっと橋詰様も喜ばれますわよ」
「何でわたしが可愛い服を着ると橋詰が喜ぶんだ!」
 連は、まあ、と大仰(おおぎょう)に驚いた顔でまくし立てた。
「それは当然で御座いましょう。殿方は思いを寄せる女性が自分のために着飾ってくれた、と思うとそれはもうお喜びになりますのよ。女性の方だって、好きな殿方には可愛いと思われたいじゃありませんの」
 好きな、って……わたしが? 橋詰も? な、な、なんてことだ……。
「そ、そんなはずは……」
「いーえ!連には分かります。女は恋に生きるもの。連は誰がなんといおうとお二人の恋路を応援させていただきますわ!」
 呆然と立ち尽くすわたしにかまわず、連は手早く衣装をそろえて差し出してきた。
「御衣装はこれが良いかと思いますわ。この上着ですと胸元が見えそうで見えなくて橋詰様もちょっとドキドキなさいますわよ。このスカートはフリルが可愛ゆう御座いますわね。凛子様にはお似合いですわ。それにこの短さですとおみ足も綺麗に見えますし。これになさいませ。がっちりと橋詰様のお心を捉えてしまいましょう!」
 一揃いを強引にわたしに押し付けると、連は薬湯を取りに行くとさっさと出て行ってしまった。もちろん「ちゃんと着てくださいましね」と釘を刺す事も忘れずに。わたしは心底困ってしまって、下着姿で服を抱えて呆然と立ち尽くしてしまった。
「……こい……恋……そんな馬鹿な……」
 思い返すほど顔が熱くなる。橋詰には少なくとも嫌われてはいないと思っていた。もちろん、会って最初のうちは向こうはなんだか変な態度だったし、なんだろう、変な奴だなあなんて思っていたのだけど……。でも、他の奴とはやっぱり初めから何かが違っていたように感じてはいた。でも、でも……恋だって!?
 わたしは今までのことを順番に思い返してみた。クラス替えの日、何故だかじっとわたしを見つめる橋詰。初めて言葉を交わしたとき、妙にうろたえていた橋詰。そして、ほんの数日前、電車での事件の時。あの時がまともに言葉を交わした初めての日だった。こんな、常識では考えられない人間であるわたしを、いとも簡単に受け入れてくれた橋詰。そして、橋詰も……わたしと同じ。同じ力を持つ……。
「同じ、か……」
 いつまでもこんな格好でいたって仕方ない。わたしはさっさと服を着た。そろそろ連が薬湯を持ってくる頃だ。わたしも橋詰のところへ行かなくては、と歩き出そうとした時、ふと、鏡台に映った自分の姿が見えた。……ひらひらとしたかわいらしい服を着て、いそいそと同じ歳の少年の元へと向かう自分。途端また顔が熱くなった。どうしよう、似合わないって思われたら……そうだ、わたしは橋詰より背が高くて、顔だって可愛らしいには程遠い。どちらかといえばふてぶてしい、という感じだろう。それが……こんな……。
「凛子様、ご用意は整いましたの?」
 連が声をかけてきた。だが、わたしは返事が出来なかった。力なく、床に座り込んだまま、動けなかった。……浅はかだった。こんなに可愛らしい格好が似合うはずもないんだ。いつか、そういつか着られたらいいなと、そう思って買ってしまった服たち。でも、わたしはわたし。学校の同い年の明るく、きらきらした小柄な可愛い少女達とは違うんだ。どうやったって変えられないものはある。
「失礼致しますわ。まあ、よくお似合いですわよ。これでしたら橋詰様もイチコロですわ〜」
「……わけ……い。そんなわけない!わたしは……!」
 連は、何かを察したのか黙って部屋に入りわたしの背後に回った。失礼致しますわね、とわたしの髪を一つに括り始めた。
「……凛子様。女性は誰でも不思議な力を持っているんですのよ。人であろうと、妖魔であろうと。誰かを思う、その心が女性を美しくするのですわ。そして……そのためには笑顔が一番なんですの」
「……えがお……?」
「ええ。はい、出来ましたわ。そんなお顔をなさってはいけません。凛子様はいつでも凛と前を向いていらっしゃらなくては。髪でお顔が隠れてしまってはその可愛らしい笑顔も魅力が半減してしまいますもの」
 にこり、といつもの優しい微笑をわたしに向ける連。ああ、母が生きていればきっと連のように優しく包んでくれたのだろうか。……いや、連こそがずっとわたしの母だった。優しく、穏やかに、時に厳しくしかってくれる連。その連が言うのだから、わたしは……。
「……連、橋詰のところへ行く」そういって立ち上がると、連は蕾が綻ぶような笑顔で「ええ、参りましょう」といってわたしの手を引いた。
 ああ、どうか、橋詰がわたしの格好をおかしいと思わないように……。わたしはそれだけを願い、緊張しながらも橋詰の部屋へ向かい歩みを進めた。

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