黄昏に降り来る闇



 日常とは、非日常をも内包した日々のことであり、通り過ぎてゆく日々のことである。

 人はその通り過ぎてゆく日常の中に含まれた非日常に気づくことはほぼ無いに等しい。 だが、一旦その日常のある瞬間に目を留めれば、それはすでに日常ではない。
 常に、日常と非日常は背中合わせだ。なぜなら、それはある意味同じものなのだから。

 僕は、御神楽凛子と出会った日常のある瞬間に、すでに非日常へと一歩踏み出していた のだ。

 僕、橋詰幸太は取り立てて語ることが無いほど周囲に埋没した人間だ。
 あえて言うなら、目立たないことこそが個性と言えるほどだ。成績は中の上、体育の成績 はいつも3、つまり一般的な男子高校生レベルと言うことだ。
 親しい友人はクラスには二・三人で、一応クラスのほとんどの人間と言葉を交わしたこと がある。

 要は人付き合いもそれなり。
 教師との折り合いはいいが、覚えめでたいと言うわけではない。
 さらに言うなら、僕の容姿が十人並みで、体型も少々ひょろりとしているが一応は中肉中 背の平均体型と言うことも関係しているのだと思う。
 あえて人と違うところを探すとなると、銀縁の眼鏡をかけているというくらいか。
だが、それにしても眼鏡をかけた人間はクラス内には数人居る。
 本当に僕自身は、まったくと言っていいほど個性と言えるものが無く存在感が薄い人間な のだ。
 だが、実はそんな僕だがクラスの中では少々浮いているという範疇に入っているらしい。
 なぜなら、僕が御神楽凛子に想いを寄せているということがクラス中に知れ渡っているか らだ。

 御神楽凛子。
 今年二年になって初めて同じクラスになったのだが、名前は学校中に知れ渡っていた。
 そのあまりにも美しい容姿に加えて、ほとんどの人間と交流を持たず、常に一人で行動し 、いつも静かに座っている少女。
 誰もが彼女に注目し、遠巻きに眺めているが決して声をかけることをしない。
 しないのではなく、出来ないのだ。
 まるで人形のように表情が無く、瞳は深淵を思い起こさせるほどに深く闇に染まっている 。そこに光が射すのをまだ誰も見たことがない。
 まっすぐに流れ落ちる長い髪は、一度も色を抜いたことがないことが見て取れるほどに濡 れた漆黒。頬には一切の赤みすらなく、肌はそれこそ人形のように滑らかで白い。
 背は僕よりも高く、すらりとした長い手足は、個性と言うものを無くしてしまう野暮った い紺のセーラー服に包まれているが、着る人によってこれほどの違いが出るのかと感嘆す るほど似合っていた。制服ではない彼女を想像することがまったく出来ないほどに。
 彼女は、いわゆる「浮いている」という範疇を超越した、人間離れした存在ということに なっていた。
 それとて、いじめだとか無視だとか、そういうことを皆がしていたというわけではない。
 皆、恐れ多くて親しくしたくても出来ない、眺めて溜息をつき視線を向けられるとこちら の方が顔を赤らめる、といった存在なのだ。
 その常に背筋を伸ばし、まっすぐ前に向けられた瞳をどうにかこちらへ向けてもらいたい 、という人間はたくさん居たらしいのだが、皆すぐに諦めてしまうことになった。
 まったくといっていいほど取り付く島がないのだということだった。
 だが、彼女の悪い噂は全く無かった。その名のとおり、常にどんなときにも凛として、は っきりと断りの言葉をその唇から聞くと、それ以上どうしようもないと言うのが理由らし かった。
 彼女は陰では「孤独の女王」と言う本人にとってはありがたくもなさそうな称号を賜って いるらしい。
 噂によるとそう言い出したのは大分昔にふられた当時の文芸部の部長が言い出したことら しかったが、誰もその称号をうーんと唸りながらも受け入れているのはまさに、彼女が女 王のように孤高で気高く美しい、からでもあった。
 そんな彼女と僕に接点などまるであるわけが無く、僕自身入学した頃から彼女のことは 噂では知っていたが、教室の配置の関係で二年になって同じクラスになるまで遠目でした 見たことが無かった。
 初めて彼女を間近で見たのは、今年の新学期、彼女が教室に入ってきたときだった。  一番最初に感じたのは、違和感。
 ざわざわと騒がしかった教室が水を打ったように静まり返り、誰も彼もが彼女に釘付けに なった。
 何故こんなところにこんなにも際立った人が居るのか、分かっていてもそんな馬鹿な疑問 が頭をよぎるほどの登場の仕方だった。
 今となっては、その日も今日も彼女は全く同じ態度で教室に入ってきていることが分かる のだが、はじめてみたその日僕は慣れていなかったのだ。
 彼女の、その美しさに。凛とした雰囲気に。よく通る澄んだアルトの声に。笑顔のない無 表情に。
「おはよう」
 たったその一言。大きくも無く抑揚すらどこかに置き忘れてきたかのようなただその一声 だけで、立ち昇る圧倒的な存在感に僕は打ちのめされていたのだと思う。
 しばらく固まっていたクラスの皆も、一瞬後には彼女に挨拶を返していた。だが僕は、そ れが出来なかった。
 衝撃が引いた後も、出席番号順に座ることになっていたので僕の真後ろに座った彼女の存 在を感じて落ち着かなかった。  しばらくは後ろの彼女にプリントを渡すときもまるっきり気後れして、目を合わせること すら出来なかった。
 こちらから話しかけることが出来たのは、新学期が始まって二週間ほどもたってからだ。
 それだってたった一言の先生からの伝言。頷いた彼女の前で固まる僕のなんと情けなかっ たことか。
 去年から同じクラスだった庄司が僕の腕を引っ張ってくれなかったら僕は永遠にそのまま だったろう。
 今となっては笑い種だが、それ以来僕が彼女を好きらしいと言う噂が校内を駆け巡ったの はこれまでの人生の中で最大の出来事だった。

 ついこの間までは。

 僕が深く関わることになった事件に比べれば、なんと小さく日常の中の日常の出来事だ ったろう。
 今なら分かるような気がする。
 僕が何故あんなにも彼女に違和感を感じることとなったのか。
 偶然とは、日常の中で目を留めることの無かった非日常が起こす、必然だということが。
 僕と、彼女と。
 その偶然のような必然の出会いが、その出会いが意味するものが、必ずある。
 今はその真の意味が分からなくとも、きっといつか分かるときが来るのだろう。
 いや、分からなくともいつか分かると思うだけで、それは意味あることなのではないのだ ろうか。
 ともあれ、僕橋詰幸太はある事件をきっかけに御神楽凛子と非日常的な接点を持つことに なった。
「親しくなった」と言い換えてもいいが、あえて言うなら「接点」だろう。
 なぜなら僕たちの関係はまるで非日常的だからだ。

 その事件について、今話そうと思う。あの、きっと忘れることの出来ない初夏の日から 始まったことを。

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