黄昏に降り来る闇


二 疾風(かぜ)に消える (うた) 4

 一夜明けて、僕の熱は御神楽家秘伝の薬湯(やくとう)のおかげかすっかり下がって体のだるさも全くなくなった。うーん、すごい。さすがは御神楽家。僕は半身を起こして伸びを一つするとえいやっ、と勢いよく立ち上がる。うん、大丈夫。ふらつきもしない。調子に乗っていち、に、とラジオ体操。わはは、全然平気だ。
「おお、すっかり回復なされたようで……さすがはわが主。わたくしも力みなぎる様になり申しましたし、御力のほうも一晩で回復なされたように御座いますな」
 びっくりして振り返ると、そこにはいつものように白装束をまとって優雅に控えている銀鱗丸が。うわ、見られちゃったよ……って、まあ銀鱗丸ならいっか。僕はうん、と(うなづ)き半身に笑顔を向ける。
「銀鱗丸も完全に力が戻ったみたいだね。ごめん、僕が倒れちゃったばっかりに不自由な思いさせちゃって」
「いえ、わたくしは眠っていればある程度の回復はなされますゆえ。その間はお護りすることは叶いませんが、こちらに居られれば千尋様もいらっしゃることですし、わたくしも安心で御座いますから」
 にこりと優雅に微笑む銀鱗丸につられ僕もえへら、と笑う。ああ、やっぱり銀鱗丸が側にいてくれると違うなあ。なんだかすごく安心できるし、ほんわかとしてしまう。僕の半身。僕が元気だと銀鱗丸も元気だ。まさしく二人で一人な感じ。
「さ、こちらで身支度を。今日はどうされますか?わたくしと致しましてはもう一日お休みいただければ安心なのですが……」
 うーん、でもすごく体は調子いいんだよね……それに、ここで寝てばかりいるのも性に合わないし……。
「いや、今日は学校へ行くよ。もう大丈夫だって。それに力も戻ってるし、というか前より力があがったみたいだからもう絶対に倒れない自信もあるしね。大丈夫大丈夫!」
 僕はぶんぶん腕を振り回して元気さをアピール。わはは、そんなことしなくたって僕らは繋がってるからお互いの調子は良く分かるんだけどね。
「ですが……千尋様にご納得いただけるかどうか……。わたくしと致しましては幸太様がお決めになられたならば、どこまでも御守りする所存で御座いますが……」
「大丈夫。ここで逃げ隠れするのは嫌だし、僕は学校へ行くよ。大体あんな奴に僕の日常生活を邪魔されるのは冗談じゃないからね。力も戻ってるし、人がたくさん居るところまではわざわざ出て来ないだろ、きっと」
「承知いたしました。では制服にお着替えを。わたくしは皆様のところへご回復と登校する(むね)を告げに参ります」
 そういいながらバッグから制服を出してくれる。銀鱗丸は着替えまで手伝ってくれるつもりだったようだけど、僕は自分で出来ることを心の中で思ったらちゃんと()んでくれた。うん、だんだん意思の疎通(そつう)の仕方が分かってきたぞ。
 銀鱗丸が去ったあと、僕は浴衣を脱いで制服に着替えた。詰襟(つめえり)のホックは外したまま、洗面道具を持って部屋を後にする。ええと、洗面所はどこだ……。うろうろして廊下を行きつ戻りつしていると聞こえてくる轟音(ごうおん)。どかどかどか、と……おなじみの足音。僕はくすりと笑って振り向く。
 案の定、やってきたのはいつもの制服姿の御神楽、いや、凛子ちゃん、だな。そんな自分の思考に照れながらも、足音高く走り来る彼女を迎える。
「こ〜た〜、もうすっかり良いんだってな?無理してないか?熱は?節々とか痛まないのか?」
「もう、なんだよ〜大丈夫だったら。心配性だなあ。僕は全然……ッ!」
 うわあ、びっくりした! 駆け寄ってきて開口一番、僕の心配をした彼女はあろうことかおでこに自分のおでこをくっつけて熱がないかどうか調べている。……ふしゅー、と一瞬にしてゆでだこになった僕。
「あ、あのっ、み、じゃない。凛子ちゃん、な、ななな」
「うん、熱はホントに下がったみたいだな。でもいいのか?無理して登校しなくても……」
「いや、そうじゃなくて、ち、近いってば!あのねぇ……」
「なんだ?熱を測っただけだそ?」
 ほんとにこの子はもう、分かってるのかなあ……。昨日の今日だぞ〜。それに僕は決定的な言葉を発したわけじゃないけど、一応は僕の思いは通じてるはずだし……。……いや、待てよ。相手は御神楽凛子、史上最強のニブニブ少女だ。知り合いの女の子なんてそう居ない僕だけど、彼女の鈍さは恐ろしいほどの物だってことは分かってた。どうしよう……きちんと言葉にして確かめたいような、怖いような……。僕の逡巡(しゅんじゅん)をちっとも分かっていない様子で彼女は「ああ、洗面所はこっちだ」なんて僕の手を引いてずんずんと歩いてゆく。本当に、どうしようか……。
「あ、あのさ、み、凛子ちゃん。昨日のことは……」
「うん?昨日はなんか千尋が大変なことになってたな。別にあんなにイライラしなくてもいいのにな」
「……じゃなくてさ、昨日僕達……」
 ……僕達、なんだ? 僕はちゃんと君が好きだ、とも言ってないのに。どういえばいいのか分からず言葉に詰まった僕の方を振り返り、満面の笑みで言った彼女の言葉は。
「わたしは本当に嬉しいんだ。わたしと幸太は同じ。まるで兄弟が出来たみたいで」
 ……きょうだい……兄弟! 何てことだ! ほら、やっぱり全然通じてないじゃないか! 僕のバカ! バカバカ! どうしてあそこできちんと告白しなかったんだろう。なんていう誤解! いや、僕が一人で舞い上がってボケかましただけなのか……。
 僕は彼女に引かれている手をなるべくそっと外して、呆然と立ち尽くした。言うなら、誤解を解くなら今しかない。きっと今の僕の顔はかつてないほど決意に溢れているだろう。二人の間に緊張が走った……のは気のせいじゃない。ほら、僕だけじゃなくて、彼女もこっちを振り向かずにそのまま固まっている。僕は、汗が(にじ)んできた手を握り締めた。
「あのさ、御神楽。昨日僕が言った事、覚えてるよね?僕は君が言った事、ちゃんと覚えてる。僕と君は似てるけど、兄弟じゃない。僕たちは家族みたいなものになったけど、僕が望んでいるのは兄弟としてじゃなくて……」
 そこまで言った途端、彼女はまたいきなり僕の手を繋いで引っ張って歩いた。僕は意を()がれて呆然(ぼうぜん)と後に続く。……どうしちゃったの、御神楽。
「……ってる……」(うつむ)き、小さな声で(つぶや)く彼女を、僕は見つめた。
「……ほんとはちゃんと……分かってるんだ。でも、もう少し……今の居心地がいいままにいさせて欲しいんだ……」
 驚愕(きょうがく)に目を見開いた僕だったが、相変わらず彼女は僕を見ない。立ち止まり、ふと自嘲(じちょう)とも思える溜息(ためいき)と共に(つむ)ぐ言葉。
「ずるいな……わたしは……。でも……わたしは……よく、分からないんだ……自分の気持が……」
 ふ、と息を吐き、覚悟したように僕を見る。その目は少しだけ(うる)んでいるようで……僕は少し(あわ)てた。
「怖い、のかもしれない。きっとわたしは変わってしまう。何がといわれればそれは分からないけれど……確実に何かが変わってしまうんじゃないかって……。今までは、千尋(ちひろ)(よく)(れん)と過ごして、あいつらのことだけを考えていればよかった。でも、今お前が側にいてくれる。今はまだ、そんなに自分が変わったような気はしないけれど、きっと、いつか全部が変わってしまう気がして……それが、怖い」
 ほろり、と一筋涙が頬を伝った。
「……てめぇ、うちのお姫様を泣かせやがったな!」
 いきなり登場した千尋は、僕から奪い取るように彼女を抱きかかえた。うわ、どうしよう……泣かせちゃった……。千尋の恫喝(どうかつ)よりも、僕は御神楽が涙を見せたことに動揺して、何も言い返すことも出来ずただ呆然と立ち尽くすのみ。
「違うんだ!幸太は何にも悪くないんだ!わたしが、勝手に……」
「そんなわけないだろう!何かされたのか!?それともいやなことでも言われたか?」
「いや、ほんとに違うんだ……。こ、これは目にゴミが……」
「あほう、そんなわきゃねーだろう。一体何された!」
 そこで僕ははっと我に返った。そうだ、僕は一体何をした! 御神楽の気持を思いやることなく一方的に気持を押し付けたんじゃないのか? 今まで、ろくに人との交流も持たずただ家族とだけ過ごしてきた御神楽に、いきなり自分の思いをぶつけようとした。悪いのは僕だ。なんて考えが足りなかったんだろう。僕は、バカだ。
「……ごめん、御神楽……」
「ほら!!これだ!」いきなり御神楽が僕を指差して叫んだ。
「昨日あんなに言ったのに、幸太はわたしを名前で呼んでくれないんだー!!やっぱりわたしが可愛くないからなんだ〜!(ひど)いと思わないか、千尋〜!」
 はい? 僕と千尋はあっけに取られてあんぐりと口が開いたまま。わーっと泣き出した御神楽、もとい、凛子ちゃんは千尋に抱きついて「幸太のバカ〜」なんて言ってる。ええと……これはかばってくれた、んだよな……。
「ああもう、分かった分かった。うん、これはこのがきんちょが悪いな。幸太、お前ちゃんと凛子を名前で呼んでやれ。じゃないと姫様のご機嫌が悪くなる」
 御神楽の頭なでなでしながらずびしぃ、っと僕を指差して千尋はまんざらでもない様子で言う。うわ、親ばか丸出し……って、御神楽、ちろっと僕を見て目配せなんて……うーん、よしここはいっちょ乗るか。
「分かったよ、凛子ちゃん。もう御神楽って呼ばないから機嫌直して、ね?」
 えぐえぐしながら御神楽は僕の方を振り向いて、ほんと? なんて首を(かし)げる。うう、つーかさ、可愛すぎなんだよね。
「うん、ホント。凛子ちゃんってちゃんと呼ぶ。それに、可愛くない、なんて言わないでよ。ちゃんと可愛いんだから」うは、ちょっと今のせりふは恥ずかしいぞ。
 凛子ちゃんはこっくりと頷くと、千尋の腕からはなれて「こっち」と僕を洗面所に連れて行ってくれた。ぽそっと「ごめん、泣いたりして」なんて呟きながら。いや、謝るのはこっちの方なんだけど……。そう思って僕は言葉を紡ごうとしたが、彼女は首を振ってやっぱり自分が悪いから、とタオルを差し出してくれながら言う。仕方なく僕は顔を洗う。
「おい、お前忘れ物」顔を拭きながら、凛子ちゃんと話そうとしたと途端、また千尋だ。もう、なんていっつも肝心なときに来るかな、この男は。
「なんですか?」ちょっと(とげ)があったかな……でもまあいいや。顔を拭き拭き見やるとずいっと差し出されたものが。
「……これ、僕の眼鏡?」
「ああ、昨日翼が庭に落ちてたのを拾って曲がってたのを直しに行ってたんだ。すっかり忘れてた。ほれ」
 僕だってすっかり忘れていた。掛けると、視界がぱあっと開けるように明るくなった。やっぱり銀鱗丸と一体になっていない時には視力は戻っちゃってたんだ。
「……幸太はやっぱり眼鏡が似合うな」ふんわりと微笑んで凛子ちゃんは言った。まだ涙の後が痛々しいけど、でも笑ってくれた。なんだか嬉しいな。
「うん、僕もやっぱり眼鏡がないと自分って気がしないや」
 二人、顔を見合わせて笑う。よかった。あそこで無理やりに自分の気持を押し付けないで。これから、まだまだ先は長いんだし、凛子ちゃんだって急に僕と過ごすようになって戸惑(とまど)う事だって多いだろう。僕は、そういうのもちゃんと分かってあげられるようにならなきゃ。
「それより……幸太。お前、ガッコ行くつもりらしいが……分かってんのか?何かあってからってもんが……」僕は、千尋に次の言葉を言わせないようにぴしゃりと言う。
「大丈夫だって。僕、逃げ隠れするの嫌いなんだよ。って言うか、逃げたってどこまでも追ってくるなら同じだし。今度は大丈夫。ちゃんと何かあったら呼ぶから」
「……しかし……」
「千尋、わたしも居るってこと忘れないで欲しいな。どうせずっと一緒に居るんだから、大丈夫だぞ。年寄りの冷や水とか言うんじゃないのか、そういうのって」
 凛子ちゃんも賛成してくれてるみたいで、加勢してくれたんだけど……最後のせりふって言ってはいけないことなんじゃ……。
 千尋は、しょうがねーな、なんて呟くといつもの困ったポーズ。つまり頭をかきながら溜息をついた。どうやら納得してもらえたみたいだ。良かった。凛子ちゃんとまた笑みを交わす。
「お前ら、早く飯食わないと冷めちまうぞ。それに学校行くならもうそろそろ出ないと遅刻じゃないのか?」
 僕たちは顔を見合わせる。うわ、そういや一限目は数学じゃないか!確かおととい課題があったはず……。
「凛子ちゃん、課題やってある?」
「もちろん。幸太は?やってないのか?だったら写させてやるから早く行こう!」
 僕たちは急いでご飯を食べて駅まで走った。

「幸太さま〜お〜ま〜ち〜くださ〜い」ん?この声は……。
「あ、幸太、銀鱗丸忘れてるぞ」
 ああ、そっか。急いで出てきたから銀鱗丸を置いて来ちゃったんだ。もう駅まですぐという道の途上、遅刻しそうではあるけれど、さすがに守護をほったらかしにするのもなんなので立ち止まる。ぴゅーんと飛んできた銀鱗丸は滑りこむ様に僕の隣に立ち、相変わらずのオーバーアクションでよよよ、と(なげ)く。
「このわたくしをお忘れになるとは……酷い仕打ちで御座います……」
「ごめん。急いでたもんで……」僕は早速右腕を(まく)り上げ差し出した。
「では、失礼を」
 銀鱗丸は、ほう、と淡い青光を放つと徐々に形を変え、僕の腕に絡まり……え? ひときわ青く輝くと、いつもとは違いまた人型に戻ってしまった。その表情は硬い。
「……幸太」凛子ちゃんも、何故だか僕の腕を取り、鋭い表情で辺りをうかがう。ええと、どうしたの?
「幸太さま、なにやら不穏(ふおん)なものを感じます。……昨日の奴のようですが……」
「……大分強い力を持ってるようだな……空気が刺さるようだ」
 りん、と凛子ちゃんのカバンに付いている戦闘用の鈴が鳴った。同時に、何故だか僕も耳鳴りが……。断続的に鳴る鈴の音と共に、きいんと僕の耳も鳴る。……これが「不穏な空気」って奴か……。僕の力も上がってるのか、周囲が静寂に包まれながらもざわついている感覚がはっきりと分かる。
 りりり、と鳴る鈴と僕の耳鳴り。くそ、頭がきりきりする……。
「……うん、僕にも分かる……。ああ、耳鳴りが……」
 相変わらず鳴り続けている鈴の音ときいんと鳴っている耳鳴りで、僕は立っているのすらやっとという状態になってしまっていた。いけない、こんなことじゃ攻撃されたらやられてしまう。
「幸太はきっと今、力がさらに目覚め始めているんだろう。だからすごく敏感になってるんだと思う。たぶんもうちょっとしたら慣れるだろうから、ここはわたしと銀鱗丸に任せておけ」
 凛子ちゃんが鈴を鳴り続けているのもかまわずに小指に(くく)りつけながら言った。二人はしっかりと戦闘体制に入っているというのに、僕は情けなくも耳を押さえて動けなくなっていた。畜生、今朝千尋にあれだけ豪語しておきながら、僕はなんて情けないんだ!
「幸太様、お気になさらず。幸太様のお力が強まっているおかげでわたくしも全開で戦えますゆえ。凛子様も御気を付けを。相手は手負いとはいえ手足(てだ)れの妖魔です。風を使う者のようですが、くれぐれもご注意を」
「分かっている。さ、幸太はわたしの後ろに。銀鱗丸はその後ろを頼む」
御意(ぎょい)
 僕が座り込んでしまっている間に、二人は着々と迎撃の準備をしていた。くそ、くそ、これでは本当に僕は役立たずだ。せめて……何かできることは……。ふ、と空を(あお)ぎ見ると太陽が目に入った。(まぶ)しい、と思ったのもつかの間、太陽に幾つもの黒い点が……影? そう思ううち、その影は見る見る大きくなってくる。これは……。
「皆、上だ!空から来る!」僕は声の限り叫んだ。
「っ、なんだ、こいつら……」
 空からやってきたのは、たくさんの(からす)。カァカァと威嚇(いかく)するように鳴きながら、黒い大群が僕たち目掛けて突っ込んでくる。それと共に、矢の様に降り注いでくるものは……黒い羽根。ああ、一昨日の奴の羽根だ。一昨日とは違ってその羽根には妖力が込められているのがはっきりと見える。黒い羽根はその妖力の光で紫の軌跡(きせき)を描いて、一斉にこちらへ向かって鋭い羽根の刃を向けていた。
「凛子様、お下がりください!ここはわたくしが!」
 銀鱗丸の鋭い声がした。目を向けると、銀鱗丸が力を(みなぎ)らせ、揺らめく青い炎のような力の光に包まれている。鴉達の鋭い(くちばし)と羽根の刃が僕達のすぐ側まで迫った瞬間、銀鱗丸は青く輝くその腕を振り放った。ごう、という音無き音と共に光が空に向かい投げ放たれると、刃は豪風に(あお)られるように弾き飛ばされ、鴉達もあらぬ方向へ流され、ある者は声も無く地に落ち、ある者は激しく(いなな)きながら元来た方角へと飛び去って行った。
 後には、ひらひらと力を失ったたくさんの黒い羽根が舞い散り、地には気を失った鴉が数羽転がっているのみ。先ほどの気配同様、今度は唐突に静寂が訪れていた。そして僕の耳鳴りもふ、と途切れ、いつもと変わらぬ町の喧騒(けんそう)が耳に入ってくる。
「気配が消えたな」
「ええ、どうやら威嚇だったようです。幸太様、大事御座いませんか?」
 僕はズボンについた砂埃を手で払いながら立ち上がる。
「……うん、耳鳴りも収まったし……。ああ、僕また何も出来なかったや……」
 溜息と共に愚痴ともつかぬ言葉が口をついたが、凛子ちゃんが僕の背中をバンバン叩きながら「そんなに落ち込むことは無いぞ。わたしだって力の使い始めは酷いもんだったし」なんて(なぐさ)めてくれた。ちょっと痛いけど、これは凛子ちゃんの親愛の表現だしな……あはは。
「それにしても、どうして威嚇なんて……。あいつかなりふてぶてしい性格みたいだったから、来るなら直接だと思ってたのになあ」
「さて……何故で御座いましょうね。様子見、ですかな……」
「なになに、そんなに性格悪い奴だったのか?わたしもそいつに会ってみたかったのにな。残念だ」
「凛子様……そのような……。はて、しかし本当に何故で御座いましょう。やはり傷が()えていないのでしょうか」
 僕達は(しば)らくそこで思案していたが、答えが出ないままその場を後にした。というより、遅刻に気付いた僕達は必死に走って学校へ向かったのだった。
 そして、僕は一枚の羽根が音も無く制服の襟元(えりもと)から服の中に入り込んだことにその時は気付きもしなかったのだ。それが発覚するのは後のこととなる。

 僕達は、急いだ甲斐(かい)も無く見事に遅刻した。一時限目が始まってからもう半分ほどの時間が経ってしまっており、静かに後ろのドアを開けて入っていったのだが、見事に先生に注意を受けてしまった。だが、それ以上に困ってしまったことは、僕と凛子ちゃんが一緒に遅刻してきたことで教室内が物凄い喧騒(けんそう)に包まれてしまったことだった。ああ、なんだか恥ずかしい……というよりも、これは困ったことになりそうだぞ。
 予想通り、一時限目が終わった休み時間、庄司がいきなり僕の席へやってきてヘッドロック状態で僕を教室から廊下へと連れ出した。凛子ちゃんに視線で助けを求めたが、やっぱり……全然通じてない。不思議そうな顔をして、僕に向かってひらひらと手を振るばかり。ああ……もうどうにでもして……。
「は〜し〜づ〜め〜。どういうことか説明してもらおうか」
 僕は廊下で壁際まで追い立てられた。庄司は僕が逃げられないように両手を壁にばんっとつけて、何とも形容しがたい表情で頭一つ分以上高い位置から僕を見ている。うう、なんか猫に追い詰められた鼠になった気分……。というより、これは(はた)から見れば襲われてる様にも見えなくも無いんじゃないか〜!?
「ええと……どういうことって……?」と、取り合えずすっとぼけてみた。でも駄目みたいだ……庄司の眉がくいっと上がる。
「とぼけるなっつーの。最近妙に接近してたみてぇだとは思ってたが、昨日は昨日で二人そろって無断欠席。今日は今日とて仲良く遅刻、と来ればなんかあったって考える方が自然じゃねーか。それにさっきのはなんだよ?御神楽さん、お前に向かって手ェ振ってたじゃねーか!」
「そーだよ。あたしちゃんと見たもん。おまけに御神楽さん、ちょっと微笑んでたんだよ!?信じられる?」
「俺も見たぞ」
「わたしも〜」
 気がつけば、僕はクラスのほぼ全員に囲まれていた。いや、その辺のクラスから来た野次馬までいるらしく「一体何の騒ぎだ?」という声も聞こえる。
「まさか……お前に限ってそりゃねぇとは思うが……告白しちまった、とかなんとか……。いや、まさかさらにありえねぇけどそれで進展があった……ってことか?」
 うう、どうしたらいいんだ〜。なんて答えればいいんだろう……。まさか本当の話をするわけにもいかないし、って言うか信じてもらえないだろうし……ほんとどうしよう……誰か助けて!
 僕が何者かに祈ったその瞬間「何やってるんだ?」と、ずっと後ろの方から降りかかる涼やかな声。その声一閃(いっせん)、ざざっと人垣が割れて相変わらず不思議そうな表情をした凛子ちゃんが庄司に迫られている僕の視界に入った。ああ、凛子ちゃん〜! 助けて……っていうか、これ、吉と出るか凶と出るか……。
 僕は思わず凛子ちゃん! と叫びそうになったけど、いや、待てよ、と声を飲み込んだ。ここで名前を呼び合ったりしたら一体どんな勘繰りを受けることか! 僕がぐっと押し黙っていると、庄司が一瞬僕に視線を走らせ、僕がふるふると首を振ると、ぱっと腕を外して決意したかのように凛子ちゃんに向き直った。ああ〜何を言う気なんだ! 頼むから何とか上手く収めてくれ〜凛子ちゃん!
「あのさ……御神楽さん。ええと、橋詰とはどんなご関係で?」
 ……なんじゃそりゃ。庄司、その質問の仕方はどうかと思うよ……。でも、相変わらずちょっと浮世離れした凛子ちゃんは真面目な顔で言い放った。この、良く通る()んだ声で。
「どんな関係と言われても……わたしと幸太は仲良くなったんだ。別におかしいことじゃないと思うが」
 ああ……凛子ちゃん……それって、それって……。予想通り、周囲の野次馬達はいっせいにどよめいた。当の質問した庄司でさえ固まってしまった。僕は仕方なく補足説明をしようと口を開いた。
「ええと、御神楽……それはいわゆる友達って言うことに……」
「幸太!!」僕の言葉をさえぎって凛子ちゃんが叫んだ。ええ!?な、何?
「ちゃんと名前で呼ぶって言ってくれただろう!いまさら何でそんな呼び方をするんだ〜!やっぱりわたしのこと」
「わ〜!!それ以上言っちゃ駄目ぇ〜!!」ここじゃまずいって! 頼むよ凛子ちゃん!
「…………名前で呼び合う……やっぱり……」
「いや、でも橋詰だぞ。そんなはずは……」
「じゃあ一体……」
 ざわざわと野次馬どもがそれぞれ勝手なことを言い合っている。もう、ホントどうにでもしてくれよ……。説明するのもめんどくさいや……。僕は半分自棄(やけ)になっていた。
「……そうか!分かった!……なるほど……」一際大きな声は庄司の物。なんだなんだとクラスメイト達がひそひそざわざわ庄司の周りに集まりだす。それを見て凛子ちゃんは首を(かし)げながら僕に「皆どうしたんだ?」なんていいながら隣に来て立った。
「うん、これなら説明がつくぞ。皆、分かったぞ!」
「庄司君、もったいぶらないでよ〜」
「そうだそうだ〜」やんややんやの大騒ぎ。そして、それは庄司の次の言葉でざわめきから怒号に変わる。
「皆聞いてくれ!橋詰は御神楽さんの下僕(げぼく)になったんだ!きっとそうだ。そうに決まってる!」
 どおお〜っと同意とも取れる圧倒されるほどの声なき声、声、声。もういいや、下僕でも何でも。……僕は半泣きになりながら力なく壁に崩折れた。そこでぽかんとした顔で言った凛子ちゃんの一言がまた僕を脱力させる。
「なあ、幸太……げぼく、って何のことだ?」
 僕は説明するのを(あきら)めた。

 なんて疲れる一日だったことだろう。今日、僕が御神楽凛子の下僕と認定されてしまった日、休み時間ごとに僕を見に来る違うクラスの奴らから、上級生、果ては下級生まで教室のドアは物見高い(やから)で鈴なりだった。ひそひそ聞こえてくるのは「へ〜あれが御神楽さんの……」とか「ついにあの橋詰がねぇ……ま、これで良かったんじゃねーの」とかもういちいち反応するのが馬鹿らしい程の噂話。って言うかさ、本人に聞こえてるっつーの。でも、凛子ちゃんは全然いつもと変わらず「幸太〜」と寄ってくる。う、嬉しいけど今はちょっと……。だって、そのたびにギャラリーがどよめくんだ。疲れることこの上ない。
 拷問(ごうもん)のような一日が終わり、視線に耐えながら僕と凛子ちゃんは一緒に学校を出る。ああ〜ほんと僕こんなに注目されるの慣れてないんだよ〜。凛子ちゃんはいつもと変わらず、というか今までの学校での無愛想な態度とは打って変わって日常生活で見せる快活な凛子ちゃんになっていた。それもまた注目を集めてしまうのだ。だってすれ違う人皆ええっ、と驚いた顔をして振り返る。でも当の本人は全く頓着(とんちゃく)せず大口を開けて僕との話で笑ってる。僕は恐る恐る聞いてみた。
「……ねえ、今までみたいにしてなくていいの?」
 凛子ちゃんはふんわりと可愛く笑うと嬉しそうに、もういいんだ、と言った。
「……なあ、幸太。変わってしまうのも案外そんなに怖くないんだな……。わたしはなんだかすっきりした気がする。今までの自分はきっと自分じゃなかったんだ。上手く……言えないんだけど……。幸太がいてくれれば、きっとわたしは何にも怖くないのかもしれない」
 凛子ちゃん……君は……。僕もにっこりと微笑んで答えた。
「そっか。じゃあ、外でも今までみたいに出来るね。もう、誰がなんて言おうと僕、気にしないことにする。僕はさ、凛子ちゃんが笑っててくれるのが嬉しい。僕がいて、笑ってくれるなら……それが一番僕は嬉しいよ」
 ふ、と立ち止まる凛子ちゃん。え、どうしたの……?
「わ、わたしも……幸太が……わ、笑ってるのが……」頬を薔薇色(ばらいろ)に染めて、潤んだ瞳で僕を見る彼女。ああ、なんて可愛らしい……。でも、僕は急がないことにした。だって、なんだかもったいない気がしたんだ。僕は内心ドキドキしながら手を差し伸べる。
「さ、家へ帰ろう」
 真っ赤な頬のままで僕の手を取る彼女。僕の、大切な人。今はまだはっきりとした答えは聞かない。聞かなくても分かっている、というのは自惚(うぬぼ)れかな。でも、僕はいつでも彼女にとって「居心地がいい場所」でありたいんだ。だから、急がない。
 家路につく道すがら、駅からの道の途中で黄昏に染まる空を二人で見た。僕達の頬を染めているのは夕日のせいか、それとも……。今はまだ、答えは出さない。

 ずっと手を繋いだまま僕達は歩き、御神楽家の門前までたどり着いた。互いに顔を見合わせる。この手をどうしようか、迷うように。僕は安心させるようにふふ、と笑うと優しく手を解いた。
「うるさい親父がいるからね。取り合えず今日はここまで」
「……うん。千尋はうるさいからなぁ」
「頑固オヤジみたいだよね。千尋は」
 二人、くすくすと笑いあい、門が開くのを待つ。程なくいつもどおり勝手に開いた門を凛子ちゃんに続いてくぐって……と、首の辺りにちくりと違和感が。その瞬間、ばしぃ、と僕は見えない壁か何かに弾かれるような感覚に。なんだ!? それでも何とか門をくぐると僕はその場に倒れこんだ。痛い……首の辺りが痛い! あまりの痛さに詰襟を脱ぎ捨てる。
「どうした!?幸太」
「てめぇ何かしやがったな!結界が……」
 飛んできた千尋に、僕は覚えが無いことを示す為にふるふると首を振ってみたけど……と、その時脱いだ詰襟からふわり、と立ち上る紫の力の光。その中心には黒い羽根が!
「幸太様!!如何なされました!……こ、これは……なんてことでしょう!」慌てた様子でいきなり僕の中から飛び出した銀鱗丸だったが、その表情は驚愕していた。そして、その瞬間屋敷の上空から吹き降ろす豪風が。
「何奴!」
 上空数メートルにある風の中心は渦となり、そこから響き渡る笑い声。奴だ!
「ははは、簡単なもんだな。やはり人間風情、この俺を相手にしたことを悔やむんだな」
 ごう、と渦は最後の一吹きを残して風が止んだ。そして渦の中心だった場所にはには、黒い羽根を持つ妖魔が一昨日と変わらぬ姿で腕を組んで浮かんでいた。
「てめぇか、結界を破りやがったのは」
 千尋に気付いた妖魔はにやり、と凶悪な笑みを浮かべる。
「そうだよ、俺だよ。久しぶりだなぁ、千尋」
 黒い羽根の妖魔は、僕には目もくれず千尋だけを見ていた。千尋の……知ってる奴なのか!?
「ちっ、てめぇやっぱり黒羽(くろは)か……」
 二人の妖魔は、周りを全く気にしていない様子でちりちりと火花が飛びそうな視線をぶつけ合っている。僕は、ただ見ているしか術が無かった。

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