黄昏に降り来る闇


二 疾風(かぜ)に消える (うた) 3

 ……今まで何度も来てるこの家だけど……今日から数日とはいえここで生活するんだと思うとなんだか妙な感慨が沸いてくるから不思議だ。御神楽の家は、門構えからして純和風、土壁の塀と大きな木の門が威圧感を与えてくる。外観はまるで武家屋敷。でもその隣にある、ステンレスの郵便受けがなんとも似合わないんだけど。
 僕は、御神楽家ご一行が僕の家からどうやって移動するのか興味津々だった。いつの間にか御神楽たちが教えもしていない僕の家に来ていたのが、僕の想像に拍車をかけた。ぴよ〜んと空でも飛ぶのかな? それとも某魔法児童小説のように呪文と手順を踏むとぱっと移動できちゃったりして。でも拍子抜けしたことに千尋は普通に電話してタクシーのお迎えを呼んでいた。……なんか、ちょっとがっかり。
 でも乗ったのは僕と御神楽と千尋だけ。連さんと翼さんは? と聞くと御神楽は笑って「準備のために先に行かせた」と答えた後、僕の耳元でそうっとささやいた。「あいつらは妖魔だぞ。距離なんて関係ないからな」悪戯っぽく笑うその顔に、僕はぼうっと見とれてまた御神楽を心配させてしまうというオプションがついたけど、ともかく僕の好奇心はある程度は満たされたわけだ。……後で、方法聞いてみよう。
 そして、僕達は無事御神楽の家について、今この仰々しい門前に立っている、というわけだった。木戸の柱にインターフォンはあるけど、御神楽も千尋も押そうともせずにただ、立っている。いくらも時の立たぬうちに、きいい、と門の(きし)む独特の音がして、重そうな門は内側に向けて開いた。
「お帰りなさりませ」
 翼さんと連さんが、ユニゾンで僕達を迎えてくれた。お辞儀の角度もぴったり同じ。あはは、なんか高い旅館の入り口みたい。
「うん、橋詰の部屋の用意は出来てるか?」
「滞りなく。離れではなく母屋の方にご用意いたしました。それに、すぐに休んでいただけるよう布団も敷いて御座います」
「ありがとう。……というわけで、橋詰」
 玄関までの長い飛び石を歩きながら連さんと会話していた御神楽は急に立ち止まり、僕の方に向き直った。御神楽のすぐ後ろを歩いていた僕は危うく正面衝突しそうになったけど、ふらついた僕の肩を御神楽ががしっ、って感じで抑えて留めてくれた。あうう、病身とはいえ情けない……。っていうか、もったいない……。
「おっと、大丈夫か?無理しないで荷物もほら、千尋、持ってあげるとかしたらどうだ」
「ご、ごめん、いや、あの大丈夫だから。それよりぶつからなかった?僕石頭だし、ぶつかったら御神楽ただじゃすまないだろうし……」
 不埒(ふらち)な考えを押し留めるように早口でまくし立てる僕を見透かすように、千尋が僕から着替えの入ったバッグと教科書の詰まったカバンをひったくるように取り上げた。千尋は相変わらず不機嫌だった。タクシーの中でも一言もしゃべらなかったし。僕は高揚した気分が一気に下がるのを感じた。……でも、部屋を去る前の一言、あれはきっと千尋の本心だって分かってるからこれくらいでへこんでなんていられないんだけどね。もしかしたら、そう、万に一つの確立だけど、これは千尋の照れ隠しかもしれないし。だって、一度も目を合わそうとしないから。僕はちょっと賭けに出ることにした。他愛のない賭けだけど、それになんだか試すようで後ろめたいんだけど、これからの数日気持ちよく過ごしたいという思いもあったし。僕は、まっすぐ千尋の方へ向き直り精一杯の笑顔で言った。
「ありがと、千尋。これからお世話になります」そして、お辞儀。
 頭を上げると、千尋の目が泳いでいた。まるでどこを見ていいかわからない、というふうに。心なしか、やっぱり照れてるような気がする……。僕は思わず千尋を凝視してしまった。あんまりにも僕が千尋を見ているので、御神楽は黙って僕達を見ていたけど、僕はかまわず千尋を見続けた。そのうちぱちっと目が合うと、やっぱり千尋は照れていたようで、ばこん、と一発チョップが僕の頭に突き刺さる。もちろん力加減はおふざけ程度。
「何見てんだよ!礼なら当主の凛子に言え。ああ、もう、やりづれぇな。荷物テキトーに運んどくからな!」
 ずんずんと足音高く家に入っていく千尋の背中はやっぱり照れ隠しが見え見えで、僕は不謹慎にもくすっと笑ってしまった。そんな僕を御神楽は不思議そうに見ている。
「千尋となんかあったのか?なんかずいぶん仲良くなったみたいだけど。千尋は気を許した相手には容赦しないからな」
「うん、まあ、ちょっとね。なんと言うか、愛?」僕のふざけた答えに御神楽は女の子らしからぬ勢いでぶふっと噴出し、大笑いした。
「なんだそれ!あ、あ〜愛〜わはははは〜」いや、そんな体を二つに折り曲げてまで笑うことは……あるか。愛、だもんな……。僕もなんかちょっと自分の言った事に照れてしまって、たはは、と笑った。
「ま、それはさておき、これからお世話になります。迷惑掛けちゃうけどよろしくお願いします」きちんとお辞儀。うん、だってこの家の主は御神楽。曲がりなりにも世話をかけてしまう以上きちんとご挨拶しなきゃ。
「そんな気張らなくていいぞ。どうせわたしたちの他誰もいない家だ。部屋だって腐るほどあるし、橋詰だったらにぎやかになっていいしな」
 そういう御神楽は少し寂しそうだ。……今まで遠慮して聞けなかったけど、どうして御神楽たちだけで住んでいるのかとか、そういうこと……聞けるかな……。プライバシーだし、今までは疑問に思っていても聞けなかったけれど……。僕は御神楽のことが知りたかった。好奇心、といわれればそうなんだろう。でも、僕は言い訳に過ぎないかもしれないけれど、御神楽凛子のことを少しでも知りたかった。だって、好きな女の子のことを知りたいと思わない男はいないと思う。これはきっとエゴなのかもしれないけどさ。人には踏み込んで欲しくない領域が必ずあるんだろうし、それがどこまでなのかこんな僕には判断なんてつかないけれど、それでも。僕は、この無愛想で人と交わらないことを装いながら、気を許したものたちの前ではよく笑い、お茶目で少しとぼけたこの御神楽凛子という少女のことがとても、そう、出会った頃よりもとても好きになっていたから。
「んじゃ、家に入ろう。外の風は体に(さわ)る。ほら、肩貸して」
 御神楽は僕より少し高い目線から促すと、僕の肩をしっかりと抱いて歩いてくれた。男としては少し情けない格好ではあるけれど、御神楽はそんなことに頓着(とんちゃく)する子じゃないということを経験として知っていたので、僕はされるがまま、一緒に歩いた。少しどころじゃなく恥ずかしいし、密着する体がすごく熱を持っているのが分かるけど、僕は意識的に無視した。優しくて、強くて、頼りになって、そして鈍感な御神楽。いつか、僕が御神楽を支えられるような男になれれば、今はそれでいいや。
「ありがと、御神楽」
「気にするな。それより早く体を治すんだぞ。お前はわたしの家族も同然なんだからな」
 家族……今はまだそれでいい。そこまで僕のことを思ってくれることを嬉しいと思わなくちゃ。そしていつか……きっと。僕は少しだけ、御神楽にもたれかかりながら、今はまだ彼女の足元にも及ばない自分を思う。
「大丈夫か?玄関はもうすぐだぞ」
「……うん……」
 風邪のせいなのか、御神楽に密着してるせいなのか分からなくなってしまった熱に少し浮かされながら、僕は歩いた。

 一体いくつの部屋の前を通り過ぎたんだろう。広い。とてもとても広い。敷地自体が広いから家だって広いだろうとは思っていたけど、半端じゃなかった。今まではまっすぐ廊下を突っ切って離れへ直接行っていたからそんなには感じなかったけれど、(ふすま)を開けるとまた襖で、完全にテレビで見る武家屋敷だ。御神楽によると、使ってない部屋ばかりなので殆どは締め切っているから、使っている部屋は玄関に近い部分だけだというけれど、それでも大分広いぞ。
 僕のために用意された部屋は御神楽の部屋と千尋の部屋から程近い場所。布団はきちんと敷いてあって、高い旅館のいい部屋に似た(たたず)まい。……泊まったことなんてないけどさ。床の間には花が生けてあって、壁には掛け軸が。なんて書いてあるのか分からないけど、とりあえず眺めてみる。墨絵と書が一体となった「(おもむき)がある」らしいもの。だって見たって分かんないし。部屋自体十二畳くらいありそうで、テーブルは……こりゃ螺鈿(らでん)だ……僕でも知ってる。たっかいよな〜これ。うう、なんか落ち着くんだか落ち着かないんだか……。
「橋詰様、どうぞごゆっくりお休みくださいませ。浴衣をご用意いたしましたのでそちらにお着替えになってください。後ほど連が御神楽家秘伝の薬湯(やくとう)を用意して持ってまいりますので」
 翼さんが僕の着替えを手伝ってくれようとしたけど、丁重にお断りして自分で着替えた。パジャマは一応持ってきたけど、そうだな、郷に入っては郷に従えだ。着替えて布団にもぐりこむと、時を置かずに連さんと、私服に着替えた御神楽が入ってきた。僕は反射的に半身を起こす。
 御神楽の私服は……一言で言い表すと可愛かった。うう、身も蓋もないけどだって可愛いんだもん。胸の広めに開いたボタンが何個かついたエメラルドグリーンの長袖Tシャツとデニムのミニスカート。ちょっとレースのフリルがついてて足は生足。普段の御神楽のシャープな印象からはちょっと想像できない可愛さだ。髪は初めて見るポニーテール姿。ぼくはぽけっと見とれるばかり。くすくすと連さんが笑っていても、そんなの視界にも耳にも入らないほど。
「……御神楽……可愛い……」思わず頭の中の感想が漏れていた。その瞬間、濡れタオルがベしゃっと僕の顔面に飛んできて、僕はばったりと枕へ倒れこむ。
「まあ、凛子様。いけませんわ」
 連さんが顔のタオルをどけてくれて、やっと確保できた視界に映った御神楽は。これ以上無い、というくらい真っ赤になってそっぽを向いている。ああ、なんて可愛いんだ!
「凛子さまったら、お洋服は何を着よう、スカートがいいか、それとも……なんて大分お悩みになったようですのよ。本当に若いとは羨ましいもので御座いますわね」
「連!余計なことしゃべるな!それより早く薬湯!」
「はいはい、こちらに。あらあら、凛子様ったらお顔真っ赤で凛子様の方がお熱がありそうですわね。本当に可愛らしい事……」
「もういい!!後はわたしがやるから連は戻ってろ!」ええ!? み、御神楽と二人きり……。連さんは、そんな僕らに「後は若いお二人で〜」なんて洒落にならない冗談を言いながら去っていった。
 なんだかくすぐったい沈黙が部屋を支配していた。御神楽は無意味に薬湯の入った椀をスプーンでかき混ぜていたし、僕は僕でぼーっと御神楽の私服に見とれ、ポニーテールのうなじに釘付け。……うう、これじゃ僕ヘンタイオヤジだよ……でも分かっていても目が離せないんだよう……。どれぐらいそうしていたか、不意に御神楽が手を止め、きっ、とこっちを見た。うう、目が怖い……。あんまりじろじろ見てたから嫌われちゃったかな……気持悪いと思われてないだろうか。そう考えると、僕はさっと顔が青ざめるのを感じた。それを察したのだろう。御神楽の表情もいきなり曇る。でもぽつん、と呟いた言葉は僕には想像も出来ないもので。
「……どうせ、似合わない格好だと思ってるんだろう……」は? 何を言ってるんだろう。僕、さっき可愛いって言わなかったかな……。
「なんで?すごい可愛いよ。御神楽に良く似合ってる」僕はあんまり言われたことが現実からかけ離れていたので、思わず取り繕うことなく素直な感想を言ってしまった。
「そんなわけないだろう!どうせわたしはこんなふりふりした格好は似合わないんだ。顔がキツ過ぎるし、背だって橋詰よりも高いし、何よりおしとやかなんかじゃないから女の子っぽい格好なんて絶対絶対似合わないんだ!」
 こぶしを握り締め、力説する御神楽。ええと……もしかして、御神楽って自分の容姿にコンプレックスがあるの? こんなに綺麗で美人でおまけに可愛いのに。僕じゃあるまいし……いや、でも人って誰でもきっとそういうコンプレックスっていうの、あるのかもしれないなあ。僕がぼんやりとそんなことに思いを馳せていると、御神楽はどんどん意気消沈していった。もう、泣きそうなくらいに。ああ、まずい、何か言わなきゃ。だって、この御神楽のコンプレックスはとんでもなく方向を間違えている。
「いや、御神楽は可愛いよ。これは僕が絶対保障する。背だってすらっとしててかっこいいし、顔だってきつすぎるなんてことない。御神楽は何着ても似合うよ。それに、おしとやかじゃないなんていうけど、元気なのが御神楽のいいところだろ?僕はそう思うな。御神楽といると僕は元気になれるんだ。それにすごく優しいし……だから……ええと、なんだ、その……とにかくそんなふうに思うことなんて一つもないんだから。だから、ね、笑って?」
 ……これじゃ完全に愛の告白だ……。でも、きっと御神楽には通じないだろうけど……。でも、僕の意に反して、御神楽はほんのりと頬を染めて上目遣いに僕を見る。……ええと、もしかして通じちゃったのかな? そ、それはそれで嬉しいけど、なんて恥ずかしい台詞吐いちゃったんだ〜!!
「……本当に、そう思うか?」反則技のような可愛さで問う御神楽に、僕は内心どきどきしながら大きく頷いた。
「うん、保障するって言ったろ?御神楽は可愛い。これホント。だから笑っててよ」
 御神楽はえへへ、と可愛く笑うと薬湯を差し出しまたふーふーしながら飲ませてくれた。ちっちゃな声で「ありがと」って聞こえたけど、口がふさがってる僕は答えを返せないので目だけで笑みを返す。
 見つめあいながら、僕らはなんだか甘ったるい時間を過ごしていた。ああ、幸せだ……来て良かった! 全部の薬湯を飲みきった僕は、御神楽に促され布団に寝かされた。額にはまた濡れタオル。さっき僕の顔にヒットしたやつだ。御神楽は、さっきはごめん、痛かったか? なんて聞きながら僕の頬をさすってくれる。至福(しふく)……ってこういうことを言うんだろうなあ……。幸せに浸っていると、御神楽が辺りを片付けだした。ああ、もう行っちゃうの?
 少し寂しく思いながら見つめると、それを察したのか御神楽は僕の枕元に座りなおした。その表情は今まで見た事がないくらい柔らかい微笑みに包まれていて、僕達の関係が何か意識できない程の少なさだけれど、確実に変わったことを感じさせた。
「なあ、橋詰。ご両親はいつ帰ってくるんだ?」
「父親は出張で一週間後。母親は……うーん、入院した伯母さん次第、かな?」
「……そうか……」
 御神楽は、なんだか表現できないような複雑な表情をしていた。……僕がいなくなるのを寂しがってくれてるんだろうか? なんて自分に都合のいい解釈だけど……。
「もしも、お母上が帰ってきて橋詰がいなかったら心配するよな……うーん、連絡しておいた方がいいかもしれないな……」ええ! いや、それはまずい! 女の子の家に泊まってます、なんて口が裂けても言えないよ〜。いや、うちはお堅い方じゃないから激怒はしないだろうけど、スッゴイ恥ずかしいことになりそうで……。
「い、いや、いいよ、大丈夫。何かあったら携帯に連絡が来るし、帰ってくる時はちゃんと向こうから電話してくるから。だから大丈夫」
「……そうか?だったら、連絡が来るまでうちに居られるな」
 御神楽は少しほっとした表情のように思えた。やっぱり……僕達の関係は少し変わったらしい。僕の気のせいでなければ、だけど。
「なあ、橋詰……」
「うん?」御神楽は相変わらず穏やかな微笑を浮かべていたけれど、少し、そう少しだけ何か決意のようなものが滲んでいた。僕はそれを汲み取って、きちんと目を合わせて御神楽を見る。
「ご両親が居るって……どんな感じなんだ?」……御神楽……君は……。
「……うーん、そうだね……時々わずらわしかったり、口うるさくて鬱陶しかったりもするけど、でも、なんだろう、僕にとっては居て当たり前って感じかな」僕は、素直に思ったことを答えた。変に取り繕ったり、気を使ったりとかそんなことしたくなかったから。
「そっか。うちとおんなじだな。千尋は時たまうるさく言うし、連は余計な口挟んだりするけど、翼は優しい。うん、おんなじだ」
 御神楽は嬉しそうに笑う。僕は少しほっとしていた。御神楽に悲しい思いはさせたくなかったから。でも、御神楽はまだ話を続けた。僕に、聞いて欲しいんだ、と言って。
「わたしにも両親が居てな、わたしが一歳になるかならないかの頃だったそうだ。事故で……わたしもその場に居たらしいんだが、奇跡的に回復して……。一時はわたしも駄目だと言われていたらしいが、今はほら、ぴんぴんしてるだろう。背も無駄に大きくなったし。その後はこの家で祖母と暮らしていたんだが、祖母も5年前に亡くなった。それからは千尋たちだけがわたしの家族だ」
 穏やかに話す御神楽。寂しさの欠片も見せないけれど、今まで友人も作らず、千尋たちだけとの生活はどんなふうだったんだろう。やっぱり、寂しかったのかな……。
「祖母と暮らしていたときも千尋たちは居たけれど、祖母は外からこの家にお嫁に来た人で力は持っていなかったんだ。だから、千尋は力を使ってこの家では親戚ということになっていた。翼と連は住み込みのお手伝いさんってことで。だから、祖母にはわたしが力を持っているということは内緒だった。この家がそういう家系だということも知らなかったし。きっと両親も力を持ってなくて、この家の事も知らなかったんだと思う。……わたしは鬼っ子みたいなもんなんだ。先祖がえりというか、突然変異と言うか……。だから……」
 御神楽は、まるで泣き顔のような表情になって僕を見る。僕は居たたまれず半身を起こした。
「だから、だから!橋詰……お前のようなわたしと同じ力を持った人間が居て、遠い昔に血の繋がりがある人間だったと分かって、わたしは……わたしは……すごく嬉しかった!ずっと探していた人にめぐり逢えたような、そんな気分になったんだ」
 潤んだ瞳で僕を見る御神楽。知らず二人の距離が近づく。ああ、御神楽……君は家族と呼ぶ大事な者たちに囲まれていても、ずっと一人だったんだね……。たった一人の人間。千尋たちはもちろん疎外感を感じさせないようにちゃんと君の事を考えてくれてはいたんだろう。でも、拭いきれない寂しさ。多分、僕の憶測に過ぎないけれどそれはきっとずっとついて回っていただろう。……僕が、君の為に出来ることは……きっと……。
 僕は、伸ばされた御神楽の手を取り、ぐっと引き寄せた。抱き寄せる、なんて芸当はまだまだ出来ないけど、それに限りなく近い体制で、御神楽の零れ落ちそうになっている涙を指で(ぬぐ)う。御神楽は、少し頬を染めて、でもまっすぐに僕の目を見てくれる。ほう、と溜息一つついて言葉を続けた。
「だから、だから……お願いだ……出来ることなら……ずっと……わたしと……」
「はーい!不純異性交友禁止!!」
 すぱーん!! いきなり襖が勢いよく開けられてずかずかと入ってきたのは千尋。……またかよ……なんでこう、この男はいいところで思いっきり邪魔するかな……。がっくりとうなだれる僕。御神楽は弾かれたように僕から離れ、なんだかもじもじしている。……親に見られたみたいな感じなのかな……うん、それなら分かる。
 千尋はずいっと顔を僕の顔十センチまで近づけると、凶悪な笑みを浮かべて言った。
「俺の目の黒いうちはうちの娘には近づかせんぞ〜」……目、黒くないじゃん……。あんたの目はほぼ紫だ! 思ってる事を読んだのか、両こぶしで僕のこめかみをギリギリと締め付けると「なにぃ!目が黒くないって〜!?お父さんは息子をそんな減らず口をたたくように育てた覚えはねぇぞ〜」なんて、わけの分からん事を口走る千尋。……何動揺してんだこの男は! ああもう、イタイイタイタイ!
「僕はあんたの息子になった覚えは無い〜!ッて、離せよ〜痛いって〜」
「いーや!!」いきなりこぶしを離し、びしっと僕を指差して言い放った千尋の言葉は。
「お前は俺の息子同然だ。なんたって家族同然なんだからな。わかったな?今日からお前は俺の息子。アンダスタン?」……英語似合わねぇ……。……いや、問題はそこじゃない! なんだって!?
「凛子は俺の娘同然。それでお前は俺の息子同然。てなわけで、凛子にゃ手ェ出すな。以上!」
 ……言い放って満足したのか、千尋はどっかりと御神楽の隣に座り込んだ。まるで親父が監視するように。……いい加減にしてくれ……。僕はどっと疲れて布団に倒れこむ。御神楽は、優しく僕の額にタオルを掛けなおしてくれた。その表情は苦笑。あ〜あ、せっかくなんだかものすっごくいい雰囲気だったのにな。くすっと、二人で笑う。それを見て千尋の眉間が歪んだけどそんなのかまっちゃ居られないや。ま、家族って事でしばらくは我慢しよう。それにしたって大進歩なんだから。
「あ、そうだ」御神楽が手を打ち鳴らす。
「家族なんだから、名前で呼び合わないとな。よし、わたしは今から橋詰のこと幸太、って呼ぶからな。幸太もわたしのこと呼び捨てで呼んでくれ」
 ええ〜、えっと、あの……なんかいきなり呼び捨ては……恥ずかしいかも……。御神楽に呼ばれるのは嬉しいし、なんか御神楽がそうやって呼ぶのは似合ってる気がするけど……僕はちょっとね……。
「……うーん、えっと、最初は凛子ちゃん、からでいいかな……?なんかいきなりだと……慣れなくて……」
 御神楽はちょっと不満そう。ぷっくりほっぺが(ふく)れてる。可愛いけど、僕は慌てて付け足した。
「だって、ちゃん付けのほうが可愛いし、御神楽に似合ってるよ」
「そうか?わたしはそんな可愛くないぞ」
「だーかーらー!可愛いってば!そんな事言わないの。それに慣れたらちゃんと呼び捨てで呼ぶよ」
「……分かった」
 僕の横で千尋が静かに怒りを抑えているのは分かっていたけど、僕らは無視して会話を続けた。
 これくらいなら見逃してくれよ、親父。

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