黄昏に降り来る闇


二 疾風(かぜ)に消える (うた) 1

 頭がふらふらする……。なんだかもう、立っていられないよ……ああ、僕は一体今何して たんだったっけ……。あれ、何で地面がこんな近くに……ああ、どんどん近くなってくる… …目の前に迫ってくるよ……どうしよう……。
「うら!しっかりしろ、クソ餓鬼。地面にキスすんのはまだ早ぇぞ。こんくらいでバテてど うする」
 気がつけば、倒れそうになっていた僕を千尋が片腕を腹の部分に差し入れて支えていた。 僕は力が入らず脱力したままでいると、まるで荷物を抱えあげるように肩に担ぎ上げられた 。ああ〜情けない〜。
「ちょっと休むか。しかし、今日はもう三回目だぞ。力加減がヘッタクソなんだよ、お前は 。力を一気に放出しすぎだ。……精神力の問題だな、こりゃ」そんな事言われても、まだあ れから一週間しかたってないのに……やっと自分の中の力を自覚できるようになったばかり なんだよ〜僕は〜。
「幸太様、あああ〜おいたわしい……そんなに青い顔をなさって……。わたくし自分が恨め しくなります……わたくしのせいでそのようにお力をお使いにならねばならぬとは……」
 縁側に寝かされた僕の横で、半分透けた銀鱗丸があたふたしている。そう、僕が今日三回 も倒れたのは、銀鱗丸を実体化させるために力を集中させる訓練をしていたから。最初は銀 鱗丸の実体化は後回しってことだったんだけど……初めてこいつが出てきた日のお風呂の一 件以来、どうしても何かの拍子に勝手に出てきてしまって。結局は僕の一番の護りとなるの は何よりもこの銀鱗丸だということで、まずこいつをどうにかしないと前には進めないとい う千尋の言葉により、この訓練が始められたんだけど……結果は見てのとおり。
「皆様、お茶が入りましたわ。一休みなさってくださいませ」
 いつものように連さんがお茶を、翼さんがお菓子を持ってきてくれた。そう、ここは御神 楽家。そこの中庭が僕の訓練場だ。この家は完璧な日本家屋で、母屋と渡り廊下を挟んだ離 れの間に広い庭があり、渡り廊下側には何本かの大きな木と、その手前には小さめの池があ る。そして、先日僕が寝かされていた部屋の前には畳十畳分くらいの空きスペースがあり、 そこが僕の訓練に使われていた。
 訓練といっても、スクワットとかうさぎ跳びとかじゃない。本来なら肉体的なものもする らしいんだけど……僕の場合は力のコントロールを体で学ぶ、つまりは銀鱗丸を安定した状 態で出すための力加減を実地で学ぶこと。千尋いわく、力をコントロールするのは何よりも 強い精神力の賜物だとか。それと、平常心だそうだ。……んなこと言ったってさあ……やっ と自分の中にある力を自覚できて、そこに自由にアクセスできるようになるまで昨日まで掛 かったんだ。それだって、何度も何度も繰り返し、そのたびに一気に力が出ちゃってそのた んびに銀鱗丸が出てきてしまって……もう何回倒れたことだろう。それまで、少しずつ漏れ 出してた力を出す方向に向けたとたん、堤防の決壊が切れるように流れ出てくる力の奔流を 今度は抑える事に集中しなきゃいけなくて……ものすごく疲れるし、うまくいかない……。 僕は半身を起こすと、はああ、と盛大なため息をついた。
「あんまりうまくいっていないみたいだな、橋詰。あんまり根を詰めると倒れてしまうぞ… …いや、倒れるからまずいのか、うーん」
 後ろから聞こえてきた声は僕の良く知っている人。この家の主、御神楽凛子だ。僕は急い でだらしなく伸ばしていた足を折り、胡坐をかいて御神楽のほうを向いて座った。初めは座 るときは正座をしてたんだけど、御神楽が「もっとリラックスしろ。うちはそんなにかしこ まらないといけない家じゃないぞ。それとも……わたしがいるとリラックスできないのか? 」なんて言うもんだから、せめて普通に座ろう、ということでこうなった。……ぶっ倒れて 伸びてるよりはいいもんな。それに、一つ気がついたのは御神楽は普段あまりにも他人に対 して深く接触しないから、皆誰もが御神楽に対して一線を引いた態度をとる。それなのに僕 のように事情を知っている人間にまで余所余所しくされるのが我慢ならないらしい、という こと。……これは僕が御神楽の身内になったってことかな。ちょっと、いやすごく嬉しいん だけど……。
「申し訳ありません、凛子様。全てはこの銀鱗丸の不徳の致す所でございます……。幸太様 のお力は本来は只人ではございませんが……このわたくしめが余りに大喰らいなもので…… 。ああ、まったくもって何という不敬!主を危機に陥れるなど、守護獣が聞いて呆れはてる というもので御座います〜」
 いつの間にか僕の斜め後ろに控えていた銀鱗丸が、相変わらずの小芝居でよよよと嘆きな がら土下座している。……ああ〜なんか今一瞬いい気分だったのに……ほんとこいつは…… はぁ。
「いや、銀鱗丸。気にすることはないぞ。お前は何しろかつての御神楽の守護獣だったんだ ろう?普通御神楽の当主は小さな頃から少しずつ家の者の手ほどきを受けて、後に守護獣が つけられるというのが普通なのに、橋詰はいきなりだからな。仕方ないことだと思うぞ。そ れに、守護獣といえば、御神楽の者を導くのも仕事だって言うじゃないか。お前が居るおか げできっと橋詰も早く力の制御を学べるだろうし、気を落とすことはないぞ。なあ、橋詰」
 うう……僕に同意を求められても……なんて思ったけど、僕は素直な性質なので、うん、 そうだね、なんてお茶を濁しておいた。まあ、実際銀鱗丸のおかげか、身の危険が実際に迫 っているおかげか分からないけれど、ここ数日で確実に僕の制御能力は高まってきている。 少しではあるけれど、こうやって銀鱗丸が外に出ていられる時間が長くなってきているのだ 。……それでもどうしても出す瞬間には倒れちゃうことには変わりはないんだけどね……。
 そう、あれは最初の訓練の日、つまりは僕が御神楽の事情を知った次の日のこと。うきう きで御神楽と登校し、放課後訓練のために御神楽の家に呼ばれ、さあ、訓練と千尋に言われ た通り意識を集中して、自分の中にある何かを探った途端。確か、暗闇の中に青い炎のよう な光の揺らめきを見つけたのは覚えている。その後、暫らくの記憶が、ない。つまりは…… こいつ、銀鱗丸が出てきて僕がぶっ倒れた、それだけ。目覚めたときにはすでに薄暮となっ ていた。
 だから僕には詳しいことは分からないんだけど、僕が寝ているそのときに御神楽には事情 が説明されたらしい。そう、その前日に僕と銀鱗丸と、千尋の三人で打ち合わせたとおりに 千尋の過去にかかわる情報を除いたものが御神楽に話されたのだそうだ。僕が目覚めると御 神楽が最初に言った言葉は「お前とわたしは遠い親戚なんだってな。……なんだか嬉しいぞ 」だった。ああ〜嬉しいのは僕の方だ! なんてにやけていたらやっぱり千尋に釘を刺され たけどさ。そんなこんなで一週間、僕の訓練は牛の歩みほどではあるけれど、着実に進歩し ている。
「おら、お前らいつまで休んでんだ。もう一回だ。銀鱗丸はいったん戻れ。半実体化してる 時だけ力のコントロールが出来てたって出す瞬間ぶっ倒れてりゃかえって危険だろうが」
 鬼コーチ千尋の一声で僕の少ない休憩時間は終わりになった。ちぇ。せっかく御神楽とま ったりお茶してたのにさ〜。縁側に座ってお茶なんて、いいシチュエーションだったのに… …。
「橋詰、大丈夫か?まだ少し顔が青いぞ。千尋、もう今日はそろそろやめたらどうだ。あま り急に訓練したって……」御神楽が、僕を心配して言ってくれたけど、千尋の答えは無常に も駄目だ、の一点張りだった。うう……やっぱり駄目か……ちょっと期待しちゃったんだけ どなあ。……はぁ、情けない僕。気ばかり焦って、その後はもう銀鱗丸を半実体化させるこ とすら出来なくなってしまっていた。

 その日、僕は意気消沈して家路についた。御神楽は慰めてくれたけど……あまりの自分の 不甲斐なさに、僕は涙が出そうになっていた。自分で決めたことなのに、うまくいかないあ まりに情けない思考ばかりが浮かぶ。何故なんだろう、確かに日ごとにうまくいくようには なってきているのに、何かが、決定的な何かが掴めていないような気がしてならなかった。 何故、どうして。そればかりだ。千尋が言ったとおりに訓練をしてみて、理解できた事を実 践して……そしてこの手に掴んだと、はっきり自覚できた途端に手をすり抜けて零れてしま ってゆくこの力。僕は一体何を見落としているんだ? それにこの胸に去来する、焦りや重 い予感のようなものはなんだろう。
 僕はふらふらとよろつきながら、玄関のドアを開けた。
「ただいま〜」……あれ? 返事がない……おまけに気づかなかったけど、家の中が真っ暗 だ。僕は電気をつけてその居間を抜け、台所へ行きテーブルを見ると……お約束のように書 置きと僕の夕飯と思しき皿が置いてあった。その内容はと言えば、伯母さんが入院したので 母親が何日か留守にするということ。おまけに……父親は急な出張で一週間留守。つまりは 、僕は数日の間留守番しなくちゃいけない……らしい。最後の一行は携帯に出なかった僕へ の小言。あ、すごい数の着信が入ってる。ぜんぜん気づかなかった……。そしてその紙切れ の下には茶封筒が置いてあって、何枚かの紙幣が入っていた。うーん、これで数日を過ごさ なくちゃならないわけだ。とはいえ、資金的にはそう大変でもないし、一応の家事もこなせ るからまあいいか、と納得。……とはいえ……このおもいっきり落ち込んで帰ってきての家 の静けさは……ちょっとこたえるなあ。
 それでも僕は簡単に夕食と風呂を済ませると、特にやることもないし訓練の疲れもあった ので、そのまま倒れこむようにベッドに横になったのだった。

 ぽとん。ぽとん。……雫の音がこだまする。……闇に明滅する光。青い、青い揺らめきが 、暗闇の中で仄かに、そして時に大きく光を放っている。ああ……これは……僕の中の力、 そして銀鱗丸の力。僕は、知らず手を伸ばした。何も見えなかったが、確かにその光を掴ん だ感触が……した。そして、その瞬間、僕はその光へと向かって吸い込まれていた。否、光 の方が僕に吸い寄せられてるのだ。そして、意識が完全にその光に包まれた。青い、視界い っぱいが青に染まる。余りに強い光に僕は目を閉じようとしたが、意識だけしかない僕には それが出来ない。眩しい……。
 やがて、その光が引いていくと、視界いっぱいに広がる青。これは……光じゃない、空?
「銀鱗丸。どうしたのです?空ばかり見上げて……雨でも来そうなのですか?」
 あれ?なんだろう……僕の意思とは無関係に体が動いて……視界が空から下方へと移る。
 その先に居たのは、僕よりも幾つか年下と思える少女。腰までありそうな黒髪を鮮やかな赤 い紐で一括りにし、白っぽい和風の衣装に身を包んだ美少女が僕に向かって微笑みかけてい た。……この子今僕のことをなんと呼んだ?
「……いえ、雪乃様。そうではございませぬ。空が余りに美しいゆえ……見惚れてしまって いたので御座います」ええ〜!? この声……確かに銀鱗丸だ……。雪乃だって? この子 が? 何だって僕が銀鱗丸なんて……それに、雪乃は僕のご先祖だし……これは、夢? も しかして、銀鱗丸の見てる夢なんだろうか。
「そうですね。今日の空はことのほか美しいですわね……。わたくしはきっと今日の空を一 生忘れることはないでしょう。お前と二人で見たこの空を。旅立ちの日には相応しくなくて ?」
「……はい。わたくしも、どんなに時が経とうともこの空を雪乃様と見上げたことを忘れは 致しません。しかし、本当にわたくし以外供も連れずに旅などと、良かったのでしょうか。 御神楽の御家は……」
「いいのです。銀鱗丸。わたくしが居ることはあの家にとって良いことではないでしょう。 いくら父上の血を引いているとはいえ、所詮は嫡流として認められてはいないのですから。 お前がわたくしについている、それだけで無用の争いを生みます。母上ももう居ない今、わ たくしにとって心許せるのはお前だけ。……お前だけでよいのです」
「雪乃様……」
 何だろう、この胸にある暖かいものは……。僕にも覚えがある、甘くそして時にきりきり と胸を突くこの想い。……銀鱗丸、お前は、もしかして……?
「さあ、行きましょう、銀鱗丸。父上を探しに」雪乃が、僕に向かって、いや銀鱗丸に向か って手を伸ばす。銀鱗丸は、その手を恭しく取ると歩き始めた。
 そして、急激に場面は変わる。雪乃と、銀鱗丸である僕は、山の中で妖魔らしきものと戦 っていた。醜悪な唸り声でこちらに向かって来る妖魔は、人とも獣ともつかぬ異様な姿で、 さらに腐臭らしき嫌な臭いを放っている。鋭い爪が、雪乃を襲おうとしたが、銀鱗丸は水の 壁を作りそれを防いだ。敵は一瞬ひるんだが、すぐに体勢を立て直し、地を揺るがすような 咆哮をあげると、ぱっくりと口を開けて長い牙を見せて襲い掛かってきた。ああ、危ない!
「銀鱗丸、おいで!」雪乃の鋭い声がする。すると、銀鱗丸である僕は光となって雪乃の方 へ吸い込まれてゆく。……なんだろうこの感覚。銀鱗丸は、歓喜していた。泣きそうになる ほどの喜び。ああ、この感情は何だ? そして、隅々まで溢れ来るこの力……雪乃の力、な のか?
「さあ、銀鱗丸いきますよ。お前のその刃で切り裂いておしまいなさい!」
 僕は、いや、銀鱗丸は一振りの剣となって雪乃の右手に握られていた。その刃は力溢れ、 青い光が立ち上っている。これが……銀鱗丸の力。銀鱗丸のもう一つの姿なのか。いや、こ れは……銀鱗丸と雪乃、二人の力が混じり合って一つの力となっている。途方もないほどの 大きな、鋭い力……。そして、雪乃と銀鱗丸の意識が混じり合い、一つとなって敵に向かっ て切り込んでいった。ああ……なんだろう、この一体感……そして途方もないほどの大きな 喜び。そうか、分かった。……うまく言葉にしてはいえないけれど、僕に足りない物が何な のかが。
 雪乃と、銀鱗丸である僕は心を一つにして敵に向かっていった。刃から放たれる青い光が 醜悪な妖怪を真っ二つに切り裂く。断末魔の叫びと共に辺りは光に包まれ、その光が収束し ていくと共にあたりは静かになった。雪乃が剣をひと振りし、その手を離すとふわり、と形 を変えて人型をとる。……ああ、なんだか不思議な感じ。それまで一体だったものが離れ行 く寂しさ、喪失感? それでも銀鱗丸は微笑んでいるのが分かる。だって、雪乃も微笑んで いたから。
「お疲れ様、銀鱗丸」
「雪乃様も、お疲れ様でした。お怪我は御座いませんね」
「ええ、では行きましょう。まだ先は長いのですから」そういって雪乃が自然と銀鱗丸に手 を差し伸べ、銀鱗丸は躊躇なくその手を取った。

 はっと、目が覚めたとき一瞬僕は今どこに居るのか分からなかった。静かに降る雨の音ら しきものが聞こえていたが、目に映るのは闇ばかり。手を伸ばすと、ぼんやりとだが指先が 見えた。ああ、夢、だったんだ。思わず顔に手を伸ばすと、濡れている? これは……涙?
 呆然と起き上がり、暫らく僕はその雫が零れ落ちるままで居た。あの衝撃的な映像が心か ら離れない。……銀鱗丸の心の奥深くを垣間見てしまった気まずさもあったけれど、何より も銀鱗丸と雪乃の二人の絆の深さに心打たれていたのだろうと思う。微笑み合い、手を取り 合う二人。混じり合い、重なり合って、力を振るう二人。そう、未だ心をざわつかせる様な あの感覚。不思議な、それでいて心地よい感覚。もちろん、それは雪乃と銀鱗丸だからだっ たのかもしれないけれど、あの何分の一でもそういう風になれるだろうか。僕と、銀鱗丸と が、二人で一人に。
 僕は、ふうっと一つ息を吐くと、静かに静かに言葉を紡いだ。僕の中に居るその妖の名を 。
「……銀鱗丸」
「はい、幸太様」時をおかず返事が返ってくると、すぐに僕の右腕が青く光り、螺旋を描く ように右腕に巻きついていたその光が解けてやがて人型を取り始める。数瞬のちには僕の目 の前で跪く銀鱗丸が姿を現していた。
「銀鱗丸……」呼ばわっても、顔を上げぬまま控えている。僕は不審に思ってもう一度呼ん でみた。もしかして、勝手に夢を覗いた事を怒っているのかもしれないから、謝らなくては と思ったのだけれど……その前に銀鱗丸の方が突然土下座をはじめた。え?
「申し訳ありません!出過ぎた真似を致しました……。今日の幸太様は深くお悩みのようで したので、少しでも助けになればと思い、このような真似をしたのですが……ご不快な想い をさせてしまい、まことに申し訳……」
「いや、そうじゃないよ銀鱗丸。そうか……君の方から見せてくれたんだね……」僕のため を思って……自分の心の深い部分まで見せてしまうこの白い妖怪、いや白竜の銀鱗丸の心を 知って、僕は今までの銀鱗丸に対する態度を恥じた。少なからず邪険にしていたことは否め ない。それに……そう、心を読まれてしまうことも恐れていたのかも知れない。以前、銀鱗 丸は僕の心の声を読んだ。でも、でも。雪乃と銀鱗丸のように一体となることの喜びに比べ れば……そう、互いが互いとなって、深い部分で繋がるあの感覚。あれは、お互いに対する 信頼と尊敬と愛情、そういったものがなければああいう風にはなれないんだと思う。僕は、 雪乃のようにはなれないだろうけれど、それでも……互いに全てを預けて、互いに互いを思 いやるような、そんな関係になりたい、と心底思ったんだ。
「ありがとう、銀鱗丸。見せてくれて……あれが、君の力なんだね……僕も、ああいう風に なれるかな……」
「……!幸太様……、幸太様ならばわたくしの全てをお預けいたします。あなた様はそれに 足るお方。この銀鱗丸、全霊を持って幸太様のために尽くす所存で御座います」
 銀鱗丸は、またもや芝居が掛かった動作でうれし泣きを始めた。あはは、僕もさ、嬉しい んだけど……これに慣れるまではもうちょっと掛かりそう。で、僕は気になっていた雪乃と のことを聞こうかどうしようか、ちょっと迷っていたら、銀鱗丸のほうから話し始めた。
「……わたくしと雪乃様のことがお気がかりなのですね。……お気づきでしょうが、こうし てわたくしと主はある程度の意思の疎通が可能で御座います。わたくしの戦闘形態時にはど うしても心を重ね合わさねばならぬゆえの業で御座いますが……それをお嫌だと仰る主も居 りましたので……なるべくならばそういった方にはただの守護獣として脇に回るようにして まいりました。ですが、雪乃様はそういった方々とは違い、私を丸ごと受け入れて下さった のです」いったん言葉を切った銀鱗丸は、つ、と顔を上げ僕をまっすぐに見た。その不思議 な色の瞳と人ではありえない虹彩を、僕は当たり前のもののように見た。そう、これが銀鱗 丸。僕の半身となる者の、真実を映し出す瞳。
「……わたくしは、雪乃様をお慕い申し上げました。……雪乃様も。わたくしども主従にそ のような強い思いを隠しおおせるわけなど御座いません。……ですが、わたくしは妖。そし て雪乃様は人で在らせられます。もとより叶うはずのない想いなので御座います。叶っては いけないのです。その先は、わたくしが最も望まぬ道。……雪乃様は御強いお方です。分か って下さいました。私の苦しみも、痛みも」
 銀鱗丸の双眸から溢れ来る、透明な雫。ああ、なんて美しくて悲しくて……そして想いに 溢れていることだろう。僕は、知らずこの妖怪を抱きしめていた。僕なんか、ただの子供に 過ぎないのに、それでも真実を隠さず話してくれるこの人間味溢れる半身を愛しく思う。
「いいえ、幸太様。あなた様はただの子供などでは御座いません。雪乃様の、千尋様の御血 を受け継ぐお方であり、そして何よりもわたくしのような者を受け入れてくださる尊きお方 なのですから。……そういう風に御自分を卑下なさることは御座いません。突然のことです のにわたくしや御神楽の御家の事情をご理解していただけるなどということはそうそう出来 ることでは御座いません。あなた様のように、お心の広いお方はそうは居られませんよ」
 銀鱗丸は、僕に向かって微笑んでくれる。僕も微笑み返した。雪乃と銀鱗丸のように、全 てを互いに預けられるような関係になれるかどうかはまだわからないけれど、でも。銀鱗丸 が居れば、僕はきっとどんなものにも恐れずに立ち向かってゆける、そんな気がした。
 僕は、銀鱗丸の手を取りその言葉を口にした。僕の今銀鱗丸のために出来る最上級のこと を伝えるために。
「これから、ずっとよろしく、銀鱗丸」
「……はい。幸太様。末永く、よろしくお願い致します……」
 手を取り合い、くすぐったかったけど暫らく見つめ合っていた僕らのおかしくもゆるぎな い時間は、突然の銀鱗丸の変貌によって終わりを告げた。一体どうしたんだ?銀鱗丸の双眸 は爛々と輝き、髪は生き物のように逆立ち波打っている。
「幸太様、何者かが近づいてきております。……小物ですが……妖のようです。こちらに向 けて殺気を放っておるところからして、間違いなく我々が目的でしょう」
「ええ?……どうすれば……」
「迎え撃ちます。今の幸太様とわたくしなれば、この程度の輩、問題ありません」
「……分かった。玄関まで迎えに行こうか」不思議と怖くなかった。どんな妖であれ、銀鱗 丸が大丈夫といえば、それは大丈夫なんだと思えるから。僕たちは階下へ降り、外に出た。
 夜明け前のほの暗い空は、雲に覆われすぐに明るくなる気配も見せず、上がりかけの小雨 が生ぬるい気持ちの悪い風に乗って頬を打った。不意に風が僕のすぐ側で渦を巻く。そして 、ごう、といきなりの突風と共に、庭の隅に大きな、目に見えるほどの風の渦が出来る。そ の中に、初めはぼんやりと、やがてはっきりと形どられる黒い影。これが、僕を襲ってきた 妖魔か。
「さ、幸太様、初陣です。気張ってゆきましょうぞ」
「よし、行くぞ、銀鱗丸!」
 銀鱗丸は早速僕の右腕に宿り、そして、まばゆく輝く剣となった。そして僕は、妖魔に向 き直る。早鐘を打つ鼓動は恐れからではなかった。
「何者だ!姿を現せ!」
 僕は妖魔に向けて、鋭い声を放った。

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