黄昏に降り来る闇


二 疾風(かぜ)に消える (うた) 2

 ほんの猫の額ほどしかない我が家の庭の片隅で渦巻く風は、はっきりとした形を現しながらもいまだくるくると回り続けていた。僕と銀鱗丸は、少し緊張しながらもえもいわれぬ高揚感に支配され、正眼の構えで敵が動き出すのを待っている。不意に、渦が人型を取ったかと思うと、そこから僕に向かって吹き返しの風がまともに吹いた。側にあった鉢植えが風に飛ばされ、玄関横の壁にがしゃんと激突して粉々になり、そして破片は風に飛ばされてどこかへ行ってしまった。僕自身も暴風にあおられて髪が乱れ視界を覆う。思わず左手で顔をかばったが、時すでに遅く眼鏡がどこかへと飛んでいった。しまった! これがないと……あれ? 見える。
『幸太様、ご心配なく。わたくしと一体となった今はわたくしの目でものを見ることが出来ますゆえ』
 そうか、良かった。僕の中のどこからか聞こえた声に安堵する。しかし……なんというこの一体感。どんな事が起きたって今の僕たちを揺るがせるものなんてないと思える。初めて相対する敵という悪意ある存在に今までの僕ならばしり込みするどころか、パニックを起こしてしまっていただろう。銀鱗丸と一体になることで、これほどまでの安心感があるなんて……。誰かとこんな風に心から信頼しあえるような時が来るなんて、思ってもみなかったけれどなんだか嬉しくなる。こんな緊迫した状況なのに僕はそんなことを思って、胸が暖かくなった。……いや、これは銀鱗丸の思いも少し入ってるみたいだ。だって少しくすぐったい。銀鱗丸は言葉ではなく、僕の中の深いところでその意思を伝えてきていた。それが今の僕に分かる。僕は少し口の端で笑みを作った。……こんな時なのに、僕は笑えていた。そう、それは銀鱗丸が居てくれるから。
 風が徐々に収まると、やがて視界がはっきりし、渦のあった場所に立っている妖の姿が見えた。その姿は僕の想像とは違って、人と変わらない。が、人でないこともはっきり分かる。なぜなら、その妖の背には黒々とした羽が生えていたから。まるで、西洋絵画の悪魔のようだ。だが、その顔は醜悪な獣のものではなく、あくまで人そのもの。若い男の姿をしていた。風が完全に収まると、その妖怪は真っ黒な翼をたたみ少し乱れた長い黒髪をうるさそうにかき上げた。ついと顔を上げると、じっと僕を見る。僕はどきりとして思わず銀鱗丸の柄をきゅっと握った。
「……あれ?間違えたか……?」
 唐突に、その妖は言った。何が間違えたんだ?
「お前、何者だ?僕を攻撃しに来たんじゃないのか?」僕は変わらず、正眼の構えで少し距離を置き、相手を睨み付けたまま油断せずに言った。
「……ふん、誰がお前のような人間風情を好き好んで……って、お前人のくせになんだその力。……なるほど……そのせいだな……。よし、決めた!珍しい人間だからとりあえず喰ってみる事にする」
 喰うって……僕を? 何を言ってるんだろう、こいつ。千尋が言っていたのは、確か虚体といわれる体のない魔物のようなやつが力を喰うってことだった。こいつは……多分実体のある妖怪だ。喰うって……どうやって? まさかほんとに頭からバリバリ食べるんじゃないだろうな……。その光景を想像して、冷たい汗が背を流れる。いや、こんなところで怯むわけには行かない。銀鱗丸が僕を励ますように刀身を少し震わせ、帯びている青い光がぽうと明滅した。そうだ、僕は一人じゃない。  黒い翼の妖怪は、にたり、と底冷えのする笑いを浮かべると翼を勢いよく羽ばたかせ始めた。ごおっ、と周囲に風が巻き起こる。
『幸太様、お気をつけ下さい。こやつ、なかなかの力を持っているようで御座います。油断なされませぬよう……』
 きらりと刀身が青く輝き、銀鱗丸の意識が言葉の形をとって奥底から浮かび上がってきた。うん、分かった。僕は意識の中で言葉を紡ぐ。それがちゃんと伝わるのが分かる。僕は、風に怯むことなくきっ、と相手を睨みつけた。
「ふうん……お前人間風情がいっちょ前に護りをつけてやがるのか。……面白れぇ……なかなか喰いでがありそうだなあ……。その護りも一緒に喰らってやるぜ。それなりの奴みたいだが……はは、どんな味がするのか楽しみだぜ」
 それなり? 銀鱗丸が? 冗談じゃない! 僕はかっと怒りが立ち上るのを感じた。……僕はいいけど、銀鱗丸を馬鹿にされるのは堪らない。顔に出ていたんだろう、黒い翼の妖魔は馬鹿にしたような嫌な笑いを満面に浮かべる。
「くっくっ、何だよ人間。逆らったって無駄だぜ。お前のような半端な力持つ人間とたかがそんな鈍ら一本で、一体何が出来るってんだよ!」
 言うが早いか、ごうと一段と唸りをあげた風が僕めがけて襲ってくる。その風の中黒い小さな疾風の欠片のようなものがまるでかまいたちのように刃となって僕を襲う。僕は巻き起こる風の中、何とか目を見開いて銀鱗丸の刃をぐっと握り締めてその眼前に構え直した。青い光が立ち上り、まるで楯のように僕をめがけて飛んで来る黒い疾風の刃を防いでくれた。はじかれ、速度を失って風に流されて行くのは、黒い羽根。そうか、これが刃の正体……。
「痛っ……」防ぎきれなかった刃が、僕の腕や足を浅く斬り抜けていった。渦巻く風にのって鮮血が舞う。傷口に鋭い痛みが走り、そこから気力と力が奪われているような感覚。気のせいではなかった。羽根は何か力を帯びているようで、まるで毒が回るように僕の意思を崩していっているのが分かる。くそ、まだ一回もこちらから攻撃できていない……。この風のせいで僕は踏ん張って立っているだけで精一杯だ。このままじゃ防戦一方、勝ち目は……考えろ、何か、必ず勝機はあるはずだ。
「ははは、難儀だな、人間ってやつは。たとえ力あったとしても、その壊れやすい体じゃなあ。たったこれくらいで傷が付くとは……。諦めて俺にさっさと喰われろ!」
 敵が翼と腕を振るとさらに強い風が起こり、それにあおられて、僕は一歩も二歩も下がることになってしまった。踏ん張りが利かない。後ろはもう、隣の家との境のフェンス。フェンスの後ろすぐは隣の家の玄関先。そこまで飛ばされてしまえば後はもう隣の家の壁に貼り付けになってしまって後がなくなってしまう。くそ……どうすれば……。
 傷口から断続的に来る痛みと、切羽詰った状況に僕は完全に混乱していた。ともすれば風にもっていかれそうになる体を、残っている意思の力を総動員して地に留め置く。それだけで僕は精一杯。時折ふわりと飛びそうになる意識を繋ぎ止めているのも傷の痛みではあったが、状況はどうにも逼迫していた。
 焦る僕を勇気付けるように刀身はきらきらしく光ったが、こんな状態の僕では銀鱗丸の声を聞けるはずもなく、光は虚しく輝きを鈍らせていった。僕は、ただ焦りと切迫感に支配され、一番大切な銀鱗丸のことに気が回らなくなっていた。そのことにすら気が付かず、ただただ混乱に身を任せていたのだ。
 ああ、本当にどうしたらいいんだ! 視界は滲み、頭はぼんやりとしてただ足にだけ力を込めて踏ん張っているだけの僕。
「さて、遊びは終わりだ。この俺様が遊んでやったんだ、ありがたく思えよ。じゃあ、いくぜ、往生しな!」
 たくさんの黒い疾風の刃と共に、翼をはためかせて妖怪は突っ込んできた。風が唸る。耳元で僕自身の血潮の音がごうごうとうるさい。手には嫌な汗をかいていた。はじき切れず、また避け切れない黒い羽根の刃が僕の頬を、腕を、わき腹を切り裂いていく。鋭すぎる痛みに僕は呻いた。限界を超えた痛みは、僕自身の最後に残っていた意思の欠片を閃かせ、激しい怒りにも似た感情を刺激する。
 ……くそ! こんなところで! ……僕は、僕はまだ御神楽に好きだって言ってないのに! 千尋もまだ超えていない。それに銀鱗丸とはやっと一つになれたばかりだって言うのに……。そうだ、銀鱗丸! なんてことだろう。大切な半身のことを忘れていたなんて……今この瞬間も僕の中に存在するもう一人の僕自身。ああ、銀鱗丸……許してくれ……僕はなんて不甲斐ない主だろう。
 そう思った瞬間、刃は力を取り戻したかのように青く鋭い光を放つ。僕の奥底から湧き上がる、力と思いと、そして声。
『幸太様!!』
 そう、僕は一人で戦っているんじゃなかった。僕達は今ひとつの心と力を持つ、二人で一人の存在。僕の力と、銀鱗丸の力、それは一体となって何倍もの相乗効果を生むはずなんだ。……銀鱗丸の、力……、そうか! 僕はちらりと周囲に目を配る。視界に映るのはたった一つの勝機になるかもしれないもの。僕の一瞬の考えは、瞬く間に銀鱗丸に伝わった。そして、銀鱗丸からも一瞬にして意思が伝わる。まるで、僕達の間にはどんな壁も存在しないかのように。
『幸太様!今です』
 敵がそのとがった爪を僕に振るおうとしたその直前、僕は襲い来る風に逆らい、一振りの刃となった銀鱗丸を風に向かって振り下ろす。青い光が輝く力をさらに増し、一瞬にして風を真っ二つに切り裂いた。風が割れる。その向こうには、突然の攻撃に怯み動きを止めた黒い妖怪が見えた。……今だ!
「なんだと!?」
「銀鱗丸!」僕が鋭く叫ぶと、僕の中のどこかから諾、という意思が閃き体の奥底から力が溢れ出した。青い光が僕全体を包みまるで炎のように揺らめいている。くっ、体中から力が搾り取られてるみたいだ。何とか僕は足を踏ん張って、力を放出し続ける。青い光は僕自身の身長よりももっと高く立ち上り、そして、竜巻のように渦を巻いて天空を目指した。よし、行け、銀鱗丸。
 『参ります!』
 銀鱗丸は咆哮を上げ、そして力を振るった。青い光の渦は、うねうねと螺旋を描きながら天から地を目指し、隣の家の玄関先にある洗車用の蛇口を破壊した。壊れた蛇口からは大量の水が噴出し、その水は青い力の光にのって同じく竜巻のように渦を描き、生き物のように蠢きながら今度は敵に向かって螺旋を描きながら突っ込んだ。
「うわあああぁ」
 敵は予想外の攻撃に、まともに水をくらって跳ね飛ばされた。風が逆流する。水と共にぶつけた力の光は青い閃光となって辺りを明るく照らす。風は、ふわりと最後の息吹を残して、その後完全に消えた。光が徐々に弱まり、それにつれて水の渦は細くなって、やがて庭全体に雨粒のように降り注いだ。僕はしとどに濡れながらも、ほっと一息安息の溜息をつくと強張った足の力を緩める。静けさが辺りを包む。
 戦いは終わった。雲が晴れ、暁の光が空を、街をオレンジ色に染め上げる。静かになった庭は水浸しになり、あれほどの風は全て収まって、隣の家の壊れた蛇口から流れ出す水の音と、早起きの鳥の声だけがする日常の朝に戻っていた。
「……終わったんだね……」
 僕は力を使い果たし、ふらふらとよろめきながらへたり込んだ。銀鱗丸が、刀から人型に戻っていたが、僕の力が足りないのか以前のように半透明だ。
「初陣、お疲れ様で御座いました」にこりと微笑む銀鱗丸だったが、銀鱗丸自身も力が足りないのか少し疲労しているように思える。透ける姿が少し痛々しい。ああ、僕にもっと力があれば……。
「そうだ、敵はどうなったの?僕達は倒せたのかな……」僕は慌てて辺りを見渡す。……でも敵の姿はそこにはなかった。ただ、力を失った黒い羽根だけが何枚も落ちていた。
「……いいえ、逃げたように御座います。暫らくは、こちらへは来ないかと」
「……そうか……僕にもっと力があれば……」
「いいえ、ご立派で御座いましたよ?」
 全身ずぶ濡れになって前髪からぽたぽたと落ちる雫のカーテン越しに見えた銀鱗丸の顔は優しく微笑んでいたけれど……僕は力を使い果たした脱力感とは別の疲労感にさいなまれていた。ああ、本当に僕はまだまだだ。混乱して銀鱗丸がいてくれることを一瞬忘れた。僕の半身の存在を忘れるなんて……。なんて情けない主だろう。僕の頬を水ではないものが流れて行く。水浸しになっている今ならばちょっとくらい泣いたって気づかれない、と思ったのだけれど……そうは行かなかった。だって僕達は繋がっているから。銀鱗丸はその透けた体で優しく僕を抱きしめる。
「幸太様……本当にご立派な初陣で御座いました。どうか、お泣きになりますな。いつでもわたくしはあなたのお側におります」
 ああ、銀鱗丸……お前はなんてあたたかい……。体は冷たいけれど、とてもとても、あたかいんだ……。僕はたまらず一つしゃくりあげると、目を閉じた。そしてそのまま意識を失ってしまった。

 寒い……ああ、寒いよう……。でも体は燃える様に熱いのが分かる。僕は無意識にぶるっと震え、心もとなさからか手を伸ばし、何かを探した。なんでもいい、自分の存在を確かめるためにつかまるものが欲しかったのかも知れない。つ、と手が何かを捉える。ああ、なんてあたたかいんだろう。それに柔らかい。不思議な安堵感が広がる。これは、何? 僕は、そのあたたかく、柔らかいものが何かを確かめるためにふわふわとした意識の海からゆっくりと浮かび上がった。
 目を開ける。まず視界に入ったのは見慣れた天井。ぼんやりとした頭でも分かる。ここは……自分の部屋だ。ベッドに横になっているらしい。そして、いまだこの手に感じるあたたかで柔らかな感触の元をたどると、誰かが僕の手を握っている。……あれ?
「……ああ、橋詰、大丈夫か?」
 握った手から視線を上方へ移すと、そこには御神楽が、居た。……ええと、ここは僕の部屋だよな……実はまだ僕は寝ていて都合のいい夢を見ているんだろうか。とりあえず落ち着こうとふるふると頭を振ってみる。ずるりと額から何かがずれ落ちた。……濡れタオル?
「ああ、おとなしくしていろ。お前、すごい熱なんだぞ。力を使い果たして体力が落ちたところに水浸しのまま暫らく居たせいで風邪を引いたんだ。今、連が台所を借りて食べられそうなものを作ってる。食べたら薬を飲むといい」
 そういいながら、御神楽は手を離してタオルを取り上げ新しく絞りなおしてくれていた。また冷たくなったタオルを額に掛けてくれる。そのひんやりとした感覚と、ちょっとだけ触れる御神楽の指。その感触は確かに現実のものだった。うわ、夢じゃないんだ……でも、何で御神楽が? どうして僕がこんな状態だって分かったんだろう……家だって教えてないよな。
「ああ、そうだ、熱を測ってみよう。ちょっといいか?」あああ〜み、御神楽が布団を剥いで僕の腕を取って体温計を脇に差し込んでくれている……って、ええ、いつの間にか着替えさせてもらってる。自分で着替えた記憶はもちろん、ない……御神楽、か……!? かあっと頬が染まるのが自分でも分かる。だ、駄目だ……熱上がる……。
「……あ、おい、橋詰、どうした?まさか……」
「ははは、お子様にはちょっと刺激が強すぎたみたいだな」
 うっ……この声……。
「千尋、どうしよう!橋詰の熱が……上がったみたいだ。何でそんな笑ってるんだ!もう、大変だっていうのに!連!連、早く食べるものを……」
 御神楽は慌てた様子でばたばたと階下の台所へ向かったようだ。部屋に残ったのは、僕と、そして千尋の二人だけ。千尋は、御神楽が出て行ったと同時にくつくつとした笑いを収めた。くそ、こいつがいたのに全然気づかなかった。僕は無理やりに体を起こしふらつく頭を一振りして、ベッドの背もたれに体を預けた。なんだか千尋の前でただ寝てるのは気にくわなかったからだ。首だけそらして横を見ると、出窓の上に片足を投げ出して座っている千尋が見えた。その手にもてあそんでいるのは、黒い羽根一本。ああ、さっきの妖魔の置き土産か。
 重苦しい沈黙が部屋を支配していた。なんだかこちらから話しかけるのもためらわれたし、千尋も黙ったままくるくると指先で羽根を回し視線をこちらへ向けることはなかった。なんだか妙に緊張する。なんだろう、こいつと二人になったことは何度かあったけど、こんな風な雰囲気になることは今までなかった。
「……安心しろ。着替えさせたのは翼だ」聞こえるか聞こえないかの声で、ぽつりと呟く千尋。一瞬何を言われたのか分からなかったが、ああ、と思い至って安堵する。相変わらず千尋の視線は手元の羽根に向けられている。どうしたんだろう、いつもなら皮肉の一つや二つ、問答無用で飛んでくるはずなのに。
「なぜだ」唐突に千尋が、固い声音で言った。え? 何が?
「……なんで俺を呼ばなかった」
 千尋は、まっすぐに僕を睨みつけるように見ていた。その目は怒りに燃えているようにも、悲しみに濡れているようにも見える。
「無茶をするな。お前はまだまだひよこ以下、卵にすらなっていなかった。たった一人で虚体ならまだしも妖魔に立ち向かうだなんてまるで自殺行為だ。おまけにそのことすら分からん大馬鹿野郎だ!……なんで、たった一人で……」
「違う!」思わず僕は叫んでいた。自分自身、その声の大きさにびっくりするほどに。……気まずくなって一瞬黙ったが、それでも、と思い直して僕は先を続けた。
「……違うよ……僕は一人じゃなかった。だって、銀鱗丸が一緒だった。だから……」
「それでもだ!馬鹿野郎!ほんのちょっと力が使えるようになったからってなめてんじゃねぇのか、お前。妖魔なんてのはどんなにちっぽけな奴でも、人間なんかが束になったって敵わない力を持ってんだ。それを……」
「千尋様!幸太様をお叱りにならないで下さいませ!」
 言い争う僕達に割って入ったのは、いつもよりも大分透明感を増した姿の銀鱗丸。僕の力はいまだ戻っていない。そのせいで銀鱗丸自身の力も弱っているようで、人型を取るのも大変そうなのに……。銀鱗丸は千尋に向かって土下座をしている。
「あの妖魔と戦うことを選んだのはこのわたくし。幸太様に非は御座いませぬ。お叱りになるならばこのわたくしを……」
「そんな、銀鱗丸のせいじゃないよ。僕が戦うことを選んだんだ。それに、何とか倒すまでは行かなくとも追い払うことは出来たんだ。だから……」
「まだわかんねぇのか!それが問題だってんだよ!」
 千尋の怒号とも言える鋭い一喝に、僕達は怯んだ。いらいらと髪に手を突っ込んでかき回す千尋。溜息と共に吐き出す言葉は、僕に衝撃をもたらした。
「倒せたんならまだいい。手負いにしちまったんじゃもっと性質が悪い。何せ見下している人間にやられたんだ、どんな手を使ってでもお前らの息の根を止めに来るはずだ。銀鱗丸、それが分からんお前じゃないだろう。何だって俺を呼ばなかった。お前のした行為は守護獣として不適格どころか、失格だ。主に自身の力量が分からずばそれをはかって留めるのがお前の役目だろう」
 押し黙る、僕達。僕はそんなこと考えたこともなかった。ましてや、千尋たち以外の妖魔に会ったのは初めてだった。でも、それでも。僕達は、戦うことを選んだんだ。危なかったけれど、それでもこうして僕は何とか無事でいられる。
 長い長い沈黙の後、小さな声で銀鱗丸は言った。
「……それでも、わたくしは此度の選択は正しかった、と思いまする……。幸太様には、戦いを積んでいただきたかった。もしもの時にはわたくしがこの命に代えても御護りするつもりでおりました」銀鱗丸は、ついと面を上げるとまっすぐ千尋を見上げ、今度ははっきりと言葉を紡ぐ。
「わたくしは守護獣で御座います。守護獣とは、ただ御護りするだけのものでは御座いません。主を導き、そして厳しさを学んでいただくのも務め。ただ危険から遠ざけるだけでは学ぶものも学んでいただけません。時に厳しく、そしてあえて危険に立ち向かっていただく、それこそが主の御為になることでございます!」
 千尋と銀鱗丸、互いの視線がぶつかる。先に目をそらしたのは、千尋だった。僕は急いでベッドから抜け出して銀鱗丸の側に這って行った。手を取って頬を撫でる。にこり、と僕に向かって微笑んでくれる銀鱗丸。僕も、苦しい息ながら微笑み返した。
「銀鱗丸……ありがとう。君がいてくれて本当に良かった……」
「あの〜……」
 僕達のやり取りに割って入ったのは、ドアの隙間から半分顔を出して湯気のたったおかゆをお盆に載せた御神楽だった。
「ごめん、聞こえた。ええと……とりあえずおかゆが出来たから食べてくれ」
 僕達はなんだか気まずい思いをしてそれぞれの行為に没頭した。僕は御神楽にベッドに追い立てられ、おかゆをふーふーされて食べさせてもらった。……ちょっと恥ずかしい。御神楽は一心不乱にスプーンでおかゆをすくい、息を吹きかけている。千尋はといえば、相変わらず出窓に座って、膝に肘をつけて頬杖を付き、ぼんやりと外を眺めていた。ちなみに、銀鱗丸は出ていると僕の力の消費が激しいということで、僕の中におとなしく納まっている。
 何とか全部食べ切って、薬を飲ませてもらった後、御神楽はふう、と溜息をつきながら僕をじっと見ている。……ええと、何かな……どきどきするんですけど。
「……なあ、橋詰。今ご家族は留守なんだよな?」
「うん、暫らく、って言っても数日の間だけだけど……」ああ、そんな下から僕を伺うように見上げられたら……うぅ、かわいい……。
「だったら、お前うちに来ないか?……すまないが……さっきの話、聞こえてしまったんだ。相手が狙ってくるならうちにいたほうが何かと都合がいいし、ほら、うちには結界もあるから、下手な奴らは入ってこられないし……ええと、お前が良ければ、なんだけど……」
 ええ!? そ、それはすごく嬉しい……けど……。僕はちらりと千尋を伺った。
「千尋、いいだろう?そしたら橋詰だって今の具合からしたら安全だし、お前だってそう思うだろう?」
 御神楽は一生懸命、千尋に向かって身振り手振りで話しかけた。千尋はといえば……ちらっとこっちを見た後ぽつりと「勝手にしろ」と呟き、またそっぽを向いてしまった。
「ほら、どうだ?橋詰」
 にこにこの御神楽。僕も思わず笑顔になって答えた。
「うん、じゃあお世話になろうかな」
 僕が答えた途端、御神楽は嬉しそうにぴょんと飛び上がって「じゃあ早速連と翼に準備させる」といって、階下へと走っていった。後に残ったのは僕と千尋。また重たい沈黙が始まるのかとびくびくしていたら、千尋は出窓から降りてこっちへ向かってきた。ええ? あの……。僕は驚いて、千尋を見るけど、千尋は僕を見なかった。でも、ベッドの側まで寄って来て、一瞬ちらりと僕を見た後、ふわりと僕の頭に手を載せる。ぽつりと小さな声で一言呟くと、そのままドアを開けていってしまった。
 僕は暫らく動けなかった。やがて、じんわりと浮かんでくる涙を拭うと、いきおいよくベッドから降りて箪笥を開け、当座の着替えをバッグに詰め始めた。
 千尋が呟いた一言、それは「無事でよかった」だった。その言葉は、今まで聞いた千尋のどんな言葉よりも、あたたかくて、そして胸に響いた。千尋はただ僕を叱ったんじゃない、心配してくれていたんだ……。
 僕の双眸からは、拭っても拭いきれないほどの涙が零れ落ちていた。

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